重要ではないことをやろうしてやる気が出なくてできないのはいいのだが、それで膨大な時間と体力と精神力を無駄にしてしまうのならかなりの悪影響なんだよな

前置きしておきますが、この記事は自分用に書いた、ただの独り押し問答なので、読まない方がいいと思います。

以下本題。

このブログに広告(はてなブログに標準で実装されているもの以外)は一切貼っていないのだが、毎日ブログ更新をしだしてから1年以上が経過して最近そこそこアクセスも増えてきて、もしかしたら適切に広告などを貼れば月1000円ぐらいは稼げるかもしれない。

そう思って数ヶ月経つのだが一切貼る気は起きない。理由はメンドクサイからというのが一番大きい。それぐらいのことやればいいのにと思われるかもしれないが、それぐらいのことすらやる気が出ないのだ。

いや、もっと正確にいうと、メリットに対して労力が見合っていないのでやる気が一切起きない、ということだろうな。まあ、仮にうまくいって月1000円の広告収入が入ったとしても、社会復帰して日雇い労働を一日がんばれば1日でその10倍の額が稼げるわけだ。だったら一々頑張って広告を貼るという作業をする気が起きない。そんなことするぐらいなら求人を探した方がいい、となる。

あれだ、このような現象は別に悪いことではないと思うのだ。むしろ、正しい認知の発生ともいえる。

しかしあれだ、これとは別のこれと同様な現象のなかには、かなり悪影響をもたらすものもある。それは、例えば、以前から何度か書いている「ある記事を書きたいけどその記事はそれほど重要ではないのでその記事を書く気までは起きない」という現象がそれだ。

参照:以前から何度か書いてるやつ

やりたいという気持ちがあるけどやれるだけのやる気が起きない、これは先ほど書いたブログに広告を貼るということにおいても、同じ現象が発生していたわけだ。しかしブログに広告を貼るということは一旦棚置きすることができるので、それほど悪影響にはならずに済むのだ。一方、ある記事を書きたいという件については、その記事を書かないとPCの設置という次のアクションに移れないので、それをしなければ次に行けないという壁となり立ちはだかってしまうわけだ。

まとめると以下のような感じ。

  • ブログに広告を貼りたいけどそのやる気が出ない、なぜならそれはそれほど重要ではない(やるメリットが労力に見合っていない)と見なしているから。
  • ある記事を書きたいけどそのやる気が出ない、なぜならその記事を書くことはそれほど重要ではないと見なしているから、しかしその記事を書かないと次に進めない状態になっている。

これをもう少し抽象化してみる。

  1. あることをやりたいけどやる気が出ない、なぜならそれは重要ではないと思っているから
  2. あることをやりたいけどやる気が出ない、なぜならそれは重要ではないと思っているから、しかしそれをしないと次に進めないと思っている

なるほどなあ。1.は物的悪影響はないんだよな。なんとなく気持ちが悪いといった心的悪影響は多少あるが、それのせいで停滞して実際に時間を大量に失ってしまうようなことはない。しかし2.はそれのせいで停滞して実際に大量の時間を失ってしまうという大きな物的悪影響がある。そして物的悪影響が大きければ心的悪影響も当然大きくなる。

なるほど。であれば、1.は気にしなければいいということで済むわけだが、2.は何かしら具体的な対策が必要となるわけだな。

うーん。どうすりゃいいんだろ。

俺はこの2.にいつも悩まされ翻弄され膨大な時間と体力と精神力を無駄にし続けてきた。

どうすりゃいいんだろう。もういい加減解決したいんだよな。もうそろそろ、この悪影響が少なくとも今後できるだけ起こらないようにする対策を講じたい。

しかしまあここまで書いておいて思い付かないんだよな。また思い付いたら書こうと思う。