オカシイとかポンコツとかを理由に攻撃するのはおかしい

頭に浮かんだことをすぐ書かなかったら、後から書こうとしても全然書けなかったり、逆に熟成されていきより書きやすくなったりするな。

本当に書きたいことは後者になっていき、一時の思い込みなどは前者のまま消えていくんだろな。

今から書くことは前者なので、はたして書く価値はあるのだろうか?と思ったりもするのだが、毎日ブログ書くと決めたのであえて書いてみる。6時間ぐらい前に頭に浮かんだことなのだが、書くのがメンドクサくて放置した結果、だいぶ薄くなってしまったネタを頑張って具現化させてみる。

理不尽なことで相手に腹をたてて攻撃的になっていないか、という話。

人がイジメの標的になる理由は様々なんだろうけど、みんなと違ってどこかオカシイとか、みんなができてることができなくてポンコツとか、あるいはその両方って場合は結構あると思う。

例えば、大学のときのアルバイト先であった話。4月になって新入社員が入ってきたのだが、彼はちょっとオタクっぽくて変わっているところがあって、さらに仕事があまりできなかった。

すると、パートの女性達は陰口を叩き始めた。そのうちチクチクと直接的に口撃をしたり、ちょっとした意地悪をするようになっていった。店長に大袈裟に苦情を言ったりもしていた。彼は徐々に孤立していき追い込まれていった。

しかし彼女達は攻撃しているつもりは無さそうだった。

変わっていて仕事ができない彼の方が悪いのだ、という感じだった。

はたしてそうなのだろうか?

彼に悪気はないし、そもそも仕事ができないのは新入社員なんだからしかたがないではなかろうか。そこに攻撃されるいわれはないだろう。

腹をたてる気持ちは分からなくもない。感情として決して不自然なことではないのかもしれない。しかし、だからといって攻撃をしてはいけないだろう。オカシイ(変わっている)だとかポンコツ(仕事できない)だとかを理由に攻撃するのは違う。もちろん本人の能力を向上させるために厳しく指導するという意図があるのなら分かるのだが、そのようは意図が彼女達にあるようには見えなかった。

しかしまあ、これは本能なんだろうな。オカシイやポンコツに腹をたてるってのは本能だし、それに無条件に攻撃したがるのも本能。

で、ふと思ったんだわ。

テーマは若干違うのだが2日前に書いたこの記事の中で、俺は父親のことをオカシナ人間だのポンコツ人間だの何度も罵っているのだ。そして実際に俺はリアルでも父親に対して攻撃的なことをしてしまっている。例えば、直接罵ったりしなくとも無視に近い対応をしたり常に不機嫌な顔をしたり。

悪意を持って危害を加えられたとかなら、その反撃として攻撃するのもわからなくもないのだが。そうでない時も攻撃的な態度をとっている。まあ悪意を持っての定義も難しかったりもするのだが。

とにかくオカシナ人間だから攻撃してもいい、ポンコツ人間だからこうげきしてもいい、なんてことはないはずだ。それは理不尽な行為だ。

なのに、いま俺はそれをしてしまっているのだ。

父親に関していえば、過去にオカシクてポンコツな癖に傍若無人だったという前科があり、そこに腹が立つし攻撃的になってしまう部分もあるのかもしれない、あるいは過去に受けたトラウマからくる牽制としての態度ともいえるかもしれない。しかし、冷静になって考えるとそこは関係ないんだよな。父親は今は俺に対しては殆ど傍若無人ではなくなっているので。

例でいうと、バイト先の社員もオカシクてポンコツな癖に社員という立場だから攻撃されていたという部分もあるのかもしれないが、彼が社員であること自体は悪いことではないし、悪意を持ってサボっていたわけではない。

パートの女性達も俺も、結局オカシクてポンコツということを理由に攻撃するという理不尽な行動をしてしまっているにすぎないんだ。

誰かに攻撃的な態度をとってしまっているとき、なぜ攻撃しているのかを明確にして、それが理不尽な理由ではないか一歩俯瞰して考える必要があるよな。