行動力がない癖に拘りが強いので一向に進まない、しかも冷静に考えるとやらなくていいことに対してそれをやってしまっている

行動力がない×拘りが強い×やる価値がないのにやりたい=価値のないことのために延々と時間潰してしまう

こういった現象が人生のなかでよくある。とくに引きこもりになってから頻度が増えたように思う。

例えば、昨日書いた記事は途中までで中断してしまった。その続きを今日書こうと思っていた。しかし一向に手が付かなかった。

気力不足や先延ばし癖、集中力の欠如などにより、まず着手ができない、着手したいのに他事をやってしまう、仮に着手したとしても気分がのらず1分で他事をはじめてしまう、といった感じだった。それが何時間も続いて、結局ほぼ進まないまま明け方になってしまった。まず行動力(というか遂行能力?)が低い。

そのくせ拘りが強い。へんに完璧主義というか。独り善がりにどーでもいいようなことに拘る。気力不足や先延ばし癖、集中力の欠如などがあるのなら、もっとテキトーにすべきだろう。遂行能力が低い人間が、さらに拘りまで強いとさらに行動へのハードルがさらに上がり、より行動できなくなってしまうだろう。

そしてもっと問題なのが、そもそもやろうとしていることにあまり価値がないということ。どうしてもやらなければいけないことであれば、先ほど書いた“遂行能力が低いのに拘ってしまう”という葛藤にも意味があるのかもしれない。しかし、そもそもそんな苦しむ価値がないことに無駄に苦しんでいるきらいがある。

例の書こうとしていた記事は恐らくそれほど他者からの需要はない。書いてくれなきゃ困る!なんて思ってる人は皆無だろう。そして自分にとっても実質的にはそもそも価値はない。金にもならないし、記事内では「自分用の備忘録として書く」と書いたが多分見返さないし自分にとっても役に立たない。まあ、冷静に考えると、これを書いたからどうなんだ、っていう。つまり、そもそも書かなくていい。なのに書こうと思ってしまう。これもある種の拘りなのかもしれない。あるいは強迫観念的なものかもしれない。しかし先ほど述べた“遂行能力の低さ×拘りの強さ”のダブルパンチによって、いつまでも書けないという。

まあ、まとめると、行動力(遂行能力)がないくせに、アホな拘りによってさらに行動へのハードルを勝手に高くする、しかも冷静に考えるとその行動よって得られるものにはそもそもあまり価値がないという。なのに強迫的にいつまでもやろうとしてしまう。でもやれない。こんな馬鹿げたことをして延々と停滞している。