締め付ける衣類が無理という感覚を矯正

一昨日8年以上ぶりに社会と交わったぐらいで調子に乗るなと思われそうだが、これから書くことは前々から書きたかったことなので調子に乗って書くわけじゃない点、まだたかだか1回だけ3時間ほど働いたぐらいで社会復帰できたとも思っておらず継続できなきゃ意味がないというのは自分でも分かっている点、をふまえた上で書く。

あれだ、徐々に感覚を常識的なところに近づけていけていたのが、けっこう良かったと思っている。

ニートや引きこもりになると、どんどん感覚がおかしくなってくるんだよな。そもそもニートや引きこもりになる人間は、もともと人と感覚がズレてたりもするのだが、社会から外れるとそれは更にひどくズレていく。

というのも、俺にはとあるズレ、というか、おかしな感覚、が昔からあって、それについて書いてみようと思う。

小学校のときは一年中半ズボン、そして裸足だった。真冬になるとトレーナーなどは着るのだが、半ズボンと裸足は貫いていた。とくに裸足、これは譲れないものがあった。ちなみに記憶では、6年生のとき、たぶんクラスで俺含め2人だけだったはず。裸足だと足(というか靴)が臭くなるんだよな。だからそいつと俺だけ臭かったと記憶している。

なんで裸足に拘っていたかというと、靴下のあの締め付ける感じが無理だったのだ。どんなに寒い日でも裸足だった。寒そう、とよく言われたが意外と慣れると大丈夫なんだろうな。真冬に外でも普通に耐えれてたから。

そしてこの締め付けられる感覚が苦手なのは父親から引き継いでいるようで、彼も市販の靴下などはそのまま履けず、すべてのゴムを爪楊枝などでほじくり出して切りとって除去してから履いている。それ以外にも、彼はズボンや上着などもかなり緩いものでないと着れず、除去できそうなゴムはすべて除去する勢いで、自分仕様に服を改造してからじゃないと着れない拘りがある。まあ傍から見ればだらしのない格好だ。そしてここ最近になり、それは酷くなっているように見受けられる。ジャンパーまで切り裂いて着ているので。

俺に話を戻すと、中学に上がるころには靴下が履けるようになった。以前書いた噛み癖の話でもそうだが、まあ“履かずに済む環境ではなくなった”というのが大きいのだろうな。さすがに中学生で年中裸足の足クサはヤバいだろと、ムリヤリ治したみたいなところがある。その後、高校大学社会人と上がっていくにつれ、改善していき、堅苦しいスーツも着れるようになった。まあ、それでも普通の人よりは苦手で、家のなかではやはり相当ラフなボロ服と裸足じゃないとダメだったが。だから家のなかでは、父親と俺の服装と、母親の服装には大きな乖離があった。

そして引きこもりオジサンとなった現在はどうなのかというと、例えば3年ほど前はノー靴下、ノーパンで、パジャマのような服装じゃないとダメになってしまった。しかもそのパジャマのような服装も父親と同じく?ズボンのウエストのゴムは抜いていないとダメになってしまった。だからすぐズレ落ちるという。まあとにかく、ちょっとでも衣類によって体が締め付けられる感覚があると、我慢ならないのだ。ちなみにパンツはたまに外出するときも履いておらず。ちょっとした変態のようになっていた。

しかしまあ、昨年あたりだろうか、徐々にマシになっていった。大きかったのが入院と手術だろうな。これも先ほど書いた小学校から中学に上がるときと同じく、パンツを履かずに済む環境ではない、ズボンのゴムを抜いていてたまにズレ落ちても大丈夫な環境ではない、というのが変わるきっかけとなった。もう仕方がないから、入院中は履くしかないから、ボクサーパンツを購入して、すぐズレ落ちるようなズボンでは許されないから、母親に頼んでズボンにゴムを入れてもらった。

それで入院中は当然のごとく、そういった入院するための常識的な感覚に寄せた服装でいたし、痔瘻関連の記事を読んでもらえれば分かるが、術創の状態的に退院後もパンツやズボンのゴムは必須だったので、数ヶ月は強制的にノーノーパン、ノーノーゴムという、常識的な感覚に寄せた服装で過ごした。

そうしていくなかで、当時はちょうど真冬の季節だったこともあり、「もしや自分はあるていど締め付けに対応できる体になってきているのでは」との自覚もしだしたのか、踝よりも長い丈のソックスを履いてみることにしたのだ。すると、意外と締め付けには耐えることができ、防寒効果の快適性が締め付けによる不快さを上まわり、日中はソックスを履いて過ごせるようになった。そういえば、手術の直前に履いた血栓防止用ストッキング、あれはたしかに締め付けはきつかったが、足全体を程よい圧力で圧迫することで静脈血の流れを助け循環をよくする効果があるらしい。ということは踝より長い丈のソックスはむしろ裸足より血流をよくする可能性があるわけだ。そう考えるとソックスを着用することへの抵抗もさらに小さくなった。

参考:医療用弾性ストッキングとは?

そして2024年6月下旬の今現在、パンツも、ゴムの入ったズボンも、普通に履ける感覚をキープできている。気温が高くなってきたので靴下に関しては裸足でいることが多くなったが、以前なら到底履こうとは思わなかった踝より長い丈のソックスを履くことへの抵抗は小さく、一昨日の労働の際にもそれほど強烈な不快感もなく履いて過ごすことができた。履こうと思えばいつでも履けるというのは強い。

まあ、冒頭にも書いたように、まだ社会復帰、つまりまだ引きこもりを脱出できたとは思っていない。しかしなんとか勇気を振り絞って1日かぎりとはいえ労働に行けた理由のひとつとして考えられるのが、徐々に体調とメンタルの準備していたというのがあると思う。その中でも、服装の感覚を徐々に常識的に近づけていき常識的な服装ができるようにしていっていた、というのも大きいのだろうな、などと思った。