母は献身的

今朝たまたま母から聞いたのだが、母の職場では正月の奨励金みたいなのがあるらしいのだが、貰わないらしい。そして普段からサービス残業もしているらしい。たとえば月に一回ある会議に参加しているのだが、他の従業員は残業申請しているのに母だけ申請していないらしい。

理由を聞いてみると、年末調整で金額オーバーすると年金額を減らされるかもしれないからとのこと。じゃあその年末調整の上限はいくらであとどれぐらいでオーバーしそうなのかは把握してるの?と聞いたら、全然わかってないっぽい。まあ、あとどれぐらいでオーバーは事務員に聞かなきゃわからんわな。しかしそんなアバウトな感覚で上限超えそうだから奨励金の辞退やサービス残業をしているというのもおかしな話だ。もしかしたら上限まで10万円以上余裕があるのかもしれないし逆にもう既に超えてるかもしれない(それはないと思うが)わけで。

このような状態になってる理由としては、第一に自分で計算するのは難しい、というか無理、というのがあって、かといって事務員にそういうことをいちいち聞くのは気が引ける、がめついと思われるかもしれない、という感じだろうか。まあ俺もそういう性格を引き継いでいるから何となく気持ちは分かる。

あとは自己肯定感が低いというのがあると思う。これも俺もそうだから。まあ上に書いた、がめついと思われるかもしれない、というのにも通づるのだが、

  • 人から必要とされなくなるのが怖い
  • 自分の能力が低いと思い込んでいる(実際に低い場合が多いが)
  • 怒られる、嫌われる、恥をかく、噂される、のが怖い

といった思いが強いのだろう。俺もそうだから。

だからこれらを補うために、せめて誠実で献身的で自己犠牲的でいようとする。そうすることであの人はいい人だと思われようとする。

まあそれ自体は悪いことではないのだろうが、搾取の対象となったり、損ばかりして疲弊していくことにもつながる。俺なんかも働いていたときはサービス残業をすることで、人から必要とされようとしたり、能力の低さを補おうとしたり、怒られたり嫌われたりすることを回避しようとしてたな。末期はもうサービス残業だけで月100時間超えてた。

でもその結果として、こうやって引きこもりになってしまった。社会が怖くなってしまった。人から必要とされるため、能力の低さを補うため、誠実、献身、自己犠牲でカバーしようとしたが、自分の心身が持たなくなってしまいプツっと緊張の糸が切れる。それでゼロになる。自分には人から必要とされるほどの能力、魅力がない、しかしもう、誠実、献身、自己犠牲でそれをカバーする体力、精神力もない。じゃあどうすればいいんだ。こうやって社会適応できない自分に自信が持てなくなってしまったわけだ。

なんか話がズレてきたな。あれだ、母の話だ。母は昔の人なのでなんとか耐えれたのだろう、単純労働やパートタイム労働しか経験していないというのもあるだろう、だから70代半ばの今までその生き方でもなんとかやってこれた。まあ母はすごいと思うが。

しかし俺には無理だった。俺が弱いのもあるのかもしれんが、なんとかアルバイトは耐えれてたんだよ。学生時代のアルバイトも怒られまくりながらサービス残業してたんだが、なんとか耐えれてた。しかし就職してからとうとう折れてしまったわけよ。現代ジャパンの複雑かつ個人の責任が重く事務能力やコミュ力を駆使せねばならぬ頭脳労働には、そのやり方では適応しきれず、とうとう折れてしまったのだ。

ああ、また話がズレてきた。あれだ、母の話だ。何が言いたいのかというと、俺が引きこもりになった理由とかではない。ちなみに引きこもりになったのはこれだけが原因ではないしな。もっと複合的なので。それについてはまたいつか書きたいと思っている。

今しているのは母の話。何が言いたいのかというと、母はとことんまで搾取の対象になってしまう性格の持ち主だなと。例えば、母は若いころ近所の主婦(普段仲のいいはずのお隣さん)によって行われた鍋やフライパンの試供会(いわゆるタッパーウェアパーティーのようなもの)に参加して10万円以上の買い物を即決してしまったし、訪問販売で高額の羽毛布団を買わされたし、複数社の生命保険に入って毎月3万ぐらい払ってたし、とにかくカモにされてきた。しかもなぜか今はその10万円以上カモられたお隣さんの面倒を見ていたりする。人に献身的にすることで自己肯定感の低さをカバーしているのだろうか。薦めれれて高いものを買ってしまったのも、相手に嫌われたくないあるいは相手を傷付けたくないという理由からだろう。これもある種の献身、自己犠牲、あるいは誠実さといえよう。

しかしまあ、母にとって最大の献身、自己犠牲、あるいは誠実さは父と結婚したことだろうな。父も当時内心(無意識に)思っていただろうな、いいカモを見つけた、と。まあそれによって俺が生まれたわけだが。母はずっと父のケアをし続けているように思う。身に染みついた誠実、献身、自己犠牲、そして思考停止、とことんまで搾取の対象となってしまう性格、そんな母だからこそ離婚せずにやってこれたんだろうな。

しかしまあ昭和はこういうカップルがけっこういたんだろうな。令和ではありえないような。まあそれについてはまた今度書こうと思う。