父親がパンツを着替えていた

洗濯籠の中に父親が脱ぎ捨てた服が入っていた。その中にパンツもあったらしい。

葬式の直前に自ら着替えたようだ。たぶん2ヵ月以上ぶり。

しかしあれだ、驚いたのはあのパンツを着替えない父親が自ら着替えたことだ。こちらが促したわけでもなく自らだ。

なぜなのか?

彼は自分の上の兄弟のことを恐れているようだ。以前から何かと理由を付けて会おうとしない。そのくせ陰口はよく叩く。兄貴(長男)はうつ病だ!兄貴(次男)はクズだ!姉貴は話が通じない!などとよく言っていた。これらは恐れの裏返しだろう。

しかし葬式に行くとなると上の兄弟たちとも会わざる得ない。その際に臭いのことを指摘されると思った、それで土壇場になって急いで着替えたのではなかろうか。

彼の言葉に重みはない。自分のことを正当化するためならいくらでも嘘や詭弁を吐く、怒鳴る、あるいは逆に自分の耳を塞ぐ、などしてコミュニケーションを断つ。ちなみに耳を塞ぐのは、以前は怒鳴ればこちらが黙っていたが、最近はそれが通用しないようになってきたので苦し紛れに編み出した方法と思われる。

しかしまあ、家族、つまり母と俺に対しては、臭いを指摘されたとしてもそれらの方法が通用すると彼は思っているわけだ。まあ実際、それで彼の思惑通りパンツを2ヵ月以上着替えずに済んでいたわけだしな。

しかし上の兄弟には通用しないと踏んだ。だから仕方がなく着替えた。

若年のころからぽんこつだった彼は上の兄弟からしょっちゅう叱責されていたのだろう。注意欠陥からくるヘマ、思慮不足によるピントのズレた行動、人格を疑いたくなるような行動、こういったものを片っ端から叱責されつづけていたのかもしれない。だから上の兄弟のことをやたら恐れているのでは。なんなら社会に出てからの先輩、上司などもそうだったのかもしれない。

しかし、だからこそ、新しく作った家族は全て折れてくれる存在、無条件に自分のことをケアしてくれる存在でいてほしかった。だから母を結婚相手としてつかまえたときも、俺が生まれたときも、そのようになるよう死力すると彼は決めた。その結果、彼の念願叶い、まんまと母も俺も彼の顔色だけをうかがう存在となった。そして家族という密室の中で彼はその態度を貫き続けた。

まあつまり、彼は相手を見ているわけだ。

しかしあれだ、何が腹が立つってよぉ、今でもたまに、彼が正しくて、彼は本心から自分が正しいと思っていて、彼は自分の正当さを説明するだけの合理的な考えを持っており、それらが理解できない母や俺がおかしいのでは?と錯覚してしまうところ。彼のその場かぎりの軽々しい嘘や詭弁をものすごく重い真実だと思い込んでいたバカな母と俺、いまだにその後遺症が抜けてない。

でもそうではないわけだ。いや、彼は自己洗脳により自分が正しいと本当に思っているかもしれない、しかしそれ以上に彼の基準として重要なのは“相手が自分に屈服するような相手かどうか”なのだろう。だからこれまで母や俺がいくら促そうとも、やんわり諭そうとも、ときにお膳立てしようとも、ぜったいに着替えなかったパンツを、葬式の直前になって自ら着替えたのだろう。上の兄弟たちには通じないと深層で理解していたので。