時間を決めてやるべきだな

以前父親が干し柿用の柿を買ってきた。干し柿にするには皮を剝いて干す必要がある。父親が「俺が皮をむく」と言ってから数週間たつがやる気配がない。もう熟し始めており、もはや干し柿にできるのか微妙なかんじ。まあこちらとしてもボケ防止のため買ってきた本人に剝いてほしいのだが、彼にとっては皮を剝くのが数週間手が付けれないほどの大仕事らしい。あるいは彼はパンツを着替えない。1ヵ月に一回着替えてくれればいいほう。家中に彼の尿の臭いが漂う。そしてこちらが耐えれなくなり恫喝してようやく着替える。理由は単にめんどくさいからだと思われる。まあ干し柿もパンツも一言でいうと面倒くさいということなのだろう。というか、まあ彼は異常に拘り多いので、正確には“自分で作った多くの拘りに従ってやるのが面倒くさい”ということなのだろう。

しかし一方で彼は酒を買いに出かけるのはどんなに寒くても遠くても自分の足で歩いて買いにいく。最低一日二回は買いにいく。また、今日彼は熟し始めた柿を余所目に家の壁に穴をあけてネジフックを取り付ける工作を頑張っていた。彼は壁や柱に釘やらネジフックを取り付けるのが昔から大好きだ。収納になると思っているのだろう。おかげで壁や柱は穴だらけだ。

まあ、柿を剝く、パンツを着替える、といった作業は面倒でできないが、酒を買いに行ったり、壁や柱にフックを取り付ける作業は労力を惜しまず率先してどんどんやっていけるわけだ。

何が言いたいかというと、やる気が出やすい行為とやる気が出にくい行為をするために必要なエネルギーの差というのは思っている以上にとんでもく大きいんだろうな、ということ。で、俺も同じなんだろうなと。

そしてさらに、やった方がいいこととやらない方がいいことがある。

つまり、

  1. やった方がいいやる気が出やすい行為
  2. やらない方がいいやる気が出やすい行為
  3. やった方がいいやる気が出にくい行為
  4. やらない方がいいやる気が出にくい行為

がある。

普通にしてると、1.と2.ばかりやってしまい、3.と4.はできないという状態に陥る。父親や俺なんかはその傾向が強いのだろう。

理想は1.と3.ばかりやって2.と4.はやらないこと。

では、どうすればいいのか?

その前に前提として、俺はバカだから、そもそもやった方がいいこととやらない方がいいことを適切に判断できてない場合が多かったりする。つまり1.をやっているつもりなのに2.をやっていたり、3.をやっているつもりなのに4.をやっていたりすることが多分にある。

これを適切に判断するため、何が一番大切なのか、すなわち何が一番の目標なのか?何が一番避けるべき問題なのか?に定期的に思いを巡らす必要があるのは当然かもしれない。しかしそれでもバカだから判断できてないことが多いし、バカだから思いを巡らすことを忘れたりする。

これについての対策も考慮したうえで、先ほどの、どうすればいいのか?についてなのだが、時間を決めてやるというのがいいのかもしれない。

まず1.は何もしなくても勝手にやるから放置すればいい。2.3.は時間を決めてやるのがいい。たとえば今日は30分だけやると決めてそれ以下もそれ以上もやらないようにする。4.も放置すればいいのだが、判断ミスをしているだけで実はやった方がいいことの可能性があるのと、やらない方がいい(と内心分かっている)にもかかわらずやった方がいい(やりたい)みたいなわけのわからん状態だったりすることがある。前者のミスしている状態を4α、後者のわけのわからん状態を4βとする。まず4αはもう仕方がない。気付くまで待つしかない。先ほど書いた適切に判断するため定期的に思いを巡らすように心掛けることぐらいしかできない。で、4βについてなのだが、これがけっこうな曲者で冒頭で書いた父親のケースもそうなのだが、自分で作った拘りなのにその拘りを遂行する気力はないみたいな状態に陥り、やるべきでない(と内心気付いてる)ことだけどやりたいくて(やるべきことだと表面上自分に言い聞かして)、けどやれなくて停滞する、みたいな本当に意味不明な状態になったりする。しかしまあこれも時間を決めてやる。という方法がいいのだろう。その時間は頑張ってやる、そしてその時間を過ぎると思い通り遂行できなかったとしても止める、とすることでその無駄すぎる状態を最小限にとどめることができる。ああ、今思ったのだが、1.も判断ミスしている場合があるな。やらない方がいいことなのにやった方がいいことだと。ということは1も時間を決めてやった方がいいのかもしれない。

まあなんかとりとめもなかったが自分用の思考整理として書いた。今から年越し蕎麦をを食べる。