無能な親と成人した無能な子がひとつ屋根の下で暮らす難しさと、さらに一人っ子で親が高齢という条件と、さらに引きこもりという状態

相変わらず怠惰で無能な毎日を過ごしている。今日もまた自己肯定感ポイントはマイナスに加算されていく。

 

ところで、父親は俺が鼻をかむと怒る。自身は1時間おきに降りてきて大音量で痰を絡めるくせに、俺が音を立てて鼻をかむと怒るのだ。「お前の耳に悪いから言ってやってるんだ!」などとも言ってくるのだが、俺だって40年近く生きてきて何千何万回と鼻をかんできて今さら耳が悪くなるような鼻のかみ方なんてしないっての。本当は俺が音を立てるのが気に入らないだけなんじゃねーのかと勘ぐっている。まあどっちでもいいが。どっちにしろメンドクサイ。

そのせいで俺はずっと父親にバレないように隠れて鼻をかむようにしていた。しかし最近は父親が弱くなってきたので、今日シャワーのときに普通に鼻をかんでみた。もう鼻かんでるの聞こえてもいいやと。すると父親からクレームが入った。しかし俺は間髪入れず反論した。

以前は反論などしようものなら、父親はヒステリーを起こして手が付けれなくなり、結局しぶしぶ全面的に従うしかなかった。しかし、何度も書いているがここ数年で俺も頭がおかしくなってきており、父親のヒステリーに対してもっと大きいヒステリーをかまして対抗するようになった。それ以来は父親は俺にヒステリーできなくなってしまった。もちろん暴力でも父親は俺に全然かなわない。だから、俺は父親に“その気になれば”反論できるようになったのだ。

それで今日反論してしまったわけだ。「鼻ぐらいまかしてくれ!」と、「あんたにビクビクして鼻すらかめなかったんだぞ!」と。言いたいことをはっきりと言えるとある種のカタルシスがある。しかしここでいい気になれるほど俺は屈託のない性格をしていない。つまり一瞬のカタルシスの後、罪悪感による後悔が襲ってくるのだ。それで長時間考え込むことになる。

理不尽なことで父親にキレられたり説教されると、イラつく。しかし父親という絶対的だった存在に反論するということは、罪悪感というそれ以上にツラい感情が湧いてきてしまう。

いや、罪悪感というよりも不安感かもしれないな。というのも、父親は俺や母親に理不尽な説教をしたりヒステリーをぶつけて従わすことで憂さ晴らしをし、自身の生き辛さを解消してきた。ではそれができなくなるとどうなる。彼は憂さ晴らしができなくなる。ずっと我慢し続け事になる。何十年もやれていたことが禁止されてしまうのは大きなストレスだろう。すると彼は近いうちに心身に変調をきたすかもしれない。例えば、認知症であったり、脳梗塞であったり。それをどうにかするため奔走させられるのは結局、一人息子で長男の俺なのだろう。

父親が強いと彼のストレスの矛先は俺や母親に向く。しかし父親が弱くなると俺に矛先を向けると反撃され父親はストレスを溜めることになる。あるいは母親にのみ矛先を向けることになる。しかしそれも俺が注意するなどし始めるといよいよ父親は追い込まれる。父親は俺や母親を抑圧することで安定していた、しかし今はそうさせまいと俺が父親のことを抑圧するようにになってきた。つまり結局どちらにしても抑圧関係になるという。どのみち安泰な状態にはなれないのだ。どちらかがどちらかを抑圧するような関係性にしかなれないのであれば、離れるしかないのだろう。今さらだが。

そういえばツイッターで、「現代において成人した子と親が同じ屋根の下に住むのは難易度が高すぎる」といった旨の投稿を見かけたな。俺もその通りだと思う。というか俺も以前からそれと同じことを発信していた。そういえばこのブログにも書いたな。これとか。高齢出産により親子のジェネレーションギャップは大きくなり、核家族化により住環境が両者密接にならざるえないような状況になった現代、それで問題が起こらない方が奇跡なのかもしれないという。

そういえば昔政治家の福島瑞穂議員が、「子が大人になったら家族は解散式をした方がいい」みたいなことを言っていたな。俺は当時それを見て何言ってんだコイツと思ったし、父親などは怒っていたように思うのだが、今考えるとある意味先進的で的を射た考え方だったのかもな。まあ、俺は左翼的な考えは好きではないんだけどさ、これに関しては一理あったんだなと。

ここまで書いて何が言いたいのかというと、あれだ、父親が悪いとか、俺が悪いとか、そういう問題じゃなくて、そもそも“選択がおかしい”と考えた方がいいのだろうなってこと。無能で未熟な親と無能な子が成人になってまで同居してるんだから、問題が起こるのは当たり前、ぐらいに思った方がいいんだろうなと。そのように改めて思ったな。

しかしもう俺も40手前だ、父親は80手前。もう色々と難しくなってきている。親を捨てるなんて簡単に言う人がいるが、親子の縁を切るなんてそうそうできるもんじゃない。それは制度的な意味というよりも、心的(責任感や罪悪感)な問題として。まあこれについては親の脛齧って引きこもってるお前が何言ってんだと思われるかもしれんが、仮に引きこもりを脱出できた場合の話をしている。続けると、過去どんなに親にひどいことをされたとしても現在進行形で嫌いだとしても、老化して孤立して病気になった親を見殺しにするなんてなかなかできるもんじゃなかろう。人としてそんな無責任なことはできかねると普通は思ってしまうだろう。もしかしたら罪悪感を覚えて一生引きずってしまうかもしれないだろう。じゃあ距離を置きつつ責任を果たそうとなるのだが、例えば、金がある人ならば介護施設に入れるなどできるが、金がない人はそれも無理だろう。ああ、考えただけでも気が滅入るメンドクサイ問題だわ。

  • 合理的に考えて今の時代、ましてや無能な、成人した子と親が同居するのはコストやリスクが大きすぎる
  • かといって一人っ子、金がない、親が高齢、などの状態になれば離れて暮らすのは難しい(完全に縁を切って見捨てるとかじゃないかぎり)

この二つを同時に解消するのは針に糸を通すような難しいことなのだろう。

しかし、それにもかかわらず、俺は今引きこもりだ。

引きこもってなんていられるような状況ではないだろうに。