以前、父親の部屋の書類捜索をしていたとき、あるものを見つけた。
まあ新聞の切り抜きなのだが、大分市の高崎山自然動物園の猿山についての記事で、その内容がけっこう興味深かった。ちなみに同様の記事がネットにもあったので以下にリンクを貼っておく。
参考:初代ニホンザル女王が出産、母娘3代の「権力闘争」終止符なるか 高崎山
要約すると、ある雌のボス猿がいて、彼女は自分の母親からボスの座を奪ったのだが、その後、今度は自分の娘からボスの座を奪われた、という話。つまり親子代々でボス猿の権力争いがあり、子が親を叩きのめすことで、その座を奪い引き継がれてきたという。
昨日書いたゴリラとサルの話にも通づるのだが、家族内でサル的なふるまいをしてしまう人間は、子から権力の座を奪われる可能性が高いのだろうな、などと思った。まあ、あるいは、その前に子が嫌気をさして家を出ていくという可能性のほうが高いかもしれんが。
しかしまあ、うちの場合は前者に近いわけだ。俺が家を出ずにいつまでも実家に居続けてしまったがゆえ、高崎山自然動物園の猿山のようになりつつある。子である俺が力を付けボス猿だった父親が力を失ったタイミングで親子内での権力が入れ替わったかたち。
まあ俺はボス猿みたいな立場は馬鹿げてると思うし、力や権力だけで人を動かすなんて親であろうと誰であろうとしたくないので、基本しないのだが、どうしても折れられない事案についてはボス猿的なふるまいをするしかなかったりする。なんせ父親は人間的な対話や議論、折り合いをつけるなどができない、つまりサル的なコミュニケーションしか取れない人間なので。ちなみに折れられない事案とは、例えば契約やお金にかかわることなどだ。ただ、普段から父親は俺にビビってるというか、以前とは180度態度が変わっているので、やはり実質、高崎山自然動物園の猿山に近い状態ではあるのだろう。
ただし、大きな違いは俺も父親も母親も人間ということ。これも最近書いたが、人間には人間としての振る舞いがある、ものの道理、公平さ、公正さ、正義感、責任感、思いやりなど。そして人間の社会は複雑だ。だから例えば、俺は親に何かあったらどうにかしなければいけない。つまり俺がボス猿みたいにふるまったところで、親にストレスをかけてしまい、親の心身に異常が出る、それに対処するのは俺であって、俺自身にに負担が帰ってくるわけだ、さらに罪悪感という負担もある。だからボス猿にはなれない。