ある種の強迫観念というか父親の存在が不吉でキモチワルく感じるようになってしまった。昔から嫌いではあったが今は不吉なのである。
父親は今は大分大人しくなった。たまに発狂することはあるが昔のように絶対的な暴君のような振る舞いではなくなってきた。正確には暴君になることを諦めたと言った方がいいのかもしれない。父親が暴君的な振る舞いをしようとすると3年ほど前から俺が逆に発狂してブチ切れるようになったので。
にもかかわらず父親に対する負の感情は小さくならない。むしろ形を変えて大きくなっているようにも思う。
自分としてもこの感情を消したいとは思うのだが難しい。心身の拒絶は反射的に起こる。
ところで、近年親を恨む人は増えているように思う。毒親だとか親ガチャだとかいう言葉が流行っているのもその表れだろう。
では、なぜ増えたのか?
俺は親を恨みたくない。むしろ親孝行がしたい。親があの世に行くとき、未熟な親だったが与えられた分に気付き有難みを理解し、俺は返せる分は精一杯返した、と胸を張りたい。こう書くとなんだか偽善者のようだが。まあもっとドライに「罪悪感という感情から自分の心を守る為」と言った方がいいのかもしれない。
その為のヒントになるかもしれないので、近年親を恨む人が増えた原因を分析してみようと思う。
まず、昔の方が未熟でアホな親は多かったし、子に対して親は絶対的な暴君だったし、暴力も今よりもずっと多かったと思う。俺が子供の頃は「親に向かってなんだそれは!」とか「親の心子知らず」とか「誰のおかげで生活できてると思ってんだ!」とか、日常的なワードだったように思うし、俺も近所の子供も親から体罰や外に締め出されるとかみんな普通にされていたように思う。
まあ俺の場合、父親に対する嫌悪感はそんな単純な物理的なことに対するものではないし、世にごまんといる親を憎んでいる人もかなり複雑な問題から発症しているように思う。
まあでも社会的な事情というか、共通する原因もあると思われるので、そこについて書く。
俺が思う親を恨む人が増えた理由は二つある。
一つ目は、核家族化による親との距離感の変化だと思われる。
先ほども書いたが、未熟でアホな親は昔から多かったはず。しかし距離があった。
会社の社長がアホなのと会社の直属の上司がアホなのでは後者の方がストレスが大きいだろう。昔の親と子の距離感は前者だった。しかし核家族化によって親との距離感が近くなったせいで後者になったのだ。
接触頻度が多いので悪影響も大きいし、接触頻度が大きいので親の未熟さもバレやすい。当然ながら親の未熟さへの恨みつらみは蓄積していき、その量は親から受けた恩恵をいつしか超えてしまうというわけだ。
昔の親と子の距離感なら、恩恵、つまり親から産み育てられたことによって自分の生命が維持されているという最大の恩恵、これが侵食されずに済んだ。この恩恵の量が過半の状態で独立して親離れ子離れができれば、親に執拗な憎悪を持ち粘着的に恨み節を吐き続けるようなこともないだろう。
また、厄介なことに未熟でアホな親ほど、この世の中における家族システムの変化とそこへ適応していく必要性に全く気付けなかったりする。未熟でアホが故、ものごとを俯瞰して見れないのでそんなこと出来るはずもない。
そして未熟でアホであることに薄々本人も気づいているためか、親の権威性を強化し維持したいという傾向がある。絶対的存在である親が子の意見に耳を傾ける必要はない、子は親の権威性に常に緊張しているべきだ、という昔なら通用したであろう古い親子関係を固持しようとする。
未熟でアホな人間ほど無条件で強力な権威性を保持しないと人間関係を維持することができないと思い込んでいるからだ。なぜなら自分自身の思想やロジックに自信が無く、ものごとの説明も根拠も示すことができないため。よって権威性を利用して俺に従え!口答えはするな!話は聞かん!という態度に終始するしかないのだ。そしてそれを強固持、強化していく。
そういえば昔テレビで「友達のような親子関係」というのが流れてきた。もちろん、友達のようなというのはあくまで比喩表現であり、親として教えるべきこと、また親から受けた恩恵への子としての感謝は、大前提としてあり、そのうえで腹を割って話をしたり忌憚なく意見が言い合えるという意味合いだと思われる。
父親はそれを見て酷く機嫌を損ねボロカスに批判していたし、俺も子供ながらに、親子が友達だなんてオカシイと思っていた。しかし今考えると、これは現代の家族システムにおける合理的な適応だったんだなと思った。
父親が俺の前でそれをボロカスに批判していたのは、絶対的な権威性を維持したい、向き合ってまともな対話をしたくない、といった、ある種の防衛本能だったのかもしれない。そしてこれは自身の自信の無さからくるものだったと。
そしてさらに厄介なことに、未熟でアホな親ほど距離感が近くて絶対的な存在でいるという状態を維持したがる。子が自分から離れることを嫌う。衣食住の提供、一人暮らしの大変さを説く、などあらゆる策略を図り。子も親から離れないことによるメリット受け入れ共依存のようになる。それで同居状態が続くことで、親へのより強烈な憎しみを発症することになる。これは時限爆弾のようなものかもしれない。
そして親を恨む人が増えた理由の二つ目だ。一つ目がたいぶ長くなったな。
それは世の中の風潮によるものだ。序盤に書いた毒親や親ガチャといったワードが流行り、多くの人が内在していたが言語化まではしていなかった親への不満に気付く、そして箍が外れたかのように恨み節を吐くようになる、社会全体がそれを容認しているのでみんなが気軽に吐くようになる。ストップが効かなくなる。そして多くの人の親への憎悪が肥大していくといった感じだろう。
ではこの全体としての親を恨むメカニズムを分析した上で、俺自身はどうしていくべきなのか。
難しいところだな…まああくまで社会全体としての原因を分析することで自分へのヒントになるかもしれないということだったからな。
てかここからツラツラとヒントを活かした上での対策を書くのも面倒なので、今日この件で直観的に思いつきでツイートした対策とおぼしきものを以下に貼っておくわ。
ゴリ押ししてでも物理的距離を置く、一時の流行としての社会的風潮に流されない。まず親を憎んでもいいことなんて何も無い。憎まれるような親が悪いとも言えるが、結局憎んでいる側が一番疲れるだけなので。
— つこんぽ (@ponkotuafi) December 23, 2021
親批判は実りのない政治デモ活動みたいなもんで基本的には時間の無駄。あくまで一時的なガス抜きであり、自分の人生は何も変わらない。これはある種の依存行為。自分の人生を生きないかぎり実質的なQOLは上がらない。
— つこんぽ (@ponkotuafi) December 23, 2021
俺は親孝行がしたい。そして親があの世に行くとき「俺は何て健気でいい奴なんだろう」と思いたい。
— つこんぽ (@ponkotuafi) December 23, 2021