特定の属性への差別や偏見を助長しかねない発言はNGという社会風潮なのに『老人』と『オジサン』はOKという矛盾

ツイッターでは胡散臭いエピソードトークのようなものをよく見かける。

例えばこれ、

ラーメン屋にて。年配のおじさんが『これ不味いわ』と言って怒りながら退店。お店の人が「すいません」と謝罪。すると30代くらいのサラリーマンが『謝る必要ないですよ。普通に美味いんで』と一言。周りで食べていた人達も「同じく」「美味いですよ」と声掛け。暖かい言葉をもって生きていたい。

なにがムカつくかって。皿の中におしぼりとか箸とかを入れたことだけが許せん。

その後さ。小さい女の子が店長さんに向かって「私も好き。食べるとここがあつあつになるしね」って言いながら自分の胸を撫でる姿をみて。ドス黒い感情が吹き飛んでった。生きてて嬉しくなる暖かい言葉を小さな女の子から学んだというオチを書いて。この話は終わりにしますね。

引用:とあるツイート

たまに駅や電車、お店などでトラブルを起こしている人を見かけることは誰にでもあることだろうが、これはかなり珍しい出来事ではなかろうか。しかも第三者がこんな明確に各登場人物のセリフや一部始終をしっかりと観察、記憶できることは滅多にないだろう。

そして後半の女の子のセリフ、これもかなり珍しい発言で、俺は正直ちょっと胡散臭いなと思ってしまった。

そしてなにより「皿の中におしぼりや箸」というのは最近ツイッターでそういう画像がバズって出回っていたのでそれを見て参考にしたのではなかろうかと勘ぐってしまう。

ラーメン容器へ箸とお手拭きを入れる客

引用:FNNプライムオンライン

また、暖かい声をかけたのが30代くらいのサラリーマンという設定は、ツイ主が数年後の自分の立場を意識したポジショントークのようにも感じる。ちなみにツイ主は20代後半の男性教師らしい。

 

とまあ、ここまではどうでもいい内容だ。もしかしたら全部事実かもしれないしな。俺の心が汚れているだけで。

というか、ここから先が俺が主張したいことの本番だ。ここまでの話、これが作り話か事実か、とかどうでもいい。なんじゃそりゃ←ツッコミ

 

あれだ、この手のエピソードトークの悪役はだいたい『高齢者、おじさん』なんだよな。

そして、先ほどのツイートには、以下のような返信があって、たくさんのいいねが付いていた。

飲食店あるあるですよね...飲食店で働いてた時こういうことを言うのは決まって年配又は中年のジジイなんですよね...心温まるエピソード本当に素敵です!

引用:とあるツイートへの返信

まあ確かに、年配の男性は、とくに年功序列や男尊女卑社会の甘い汁をすってきた世代は、ロクでもない奴が多くいる。俺が働いていた十数年前も、会社の年配男性に散々イジメられた記憶があるのでその醜悪さは分かる。

でも思うんだよな、特定の属性を一括りにして叩くのってよくないことなのでは、と。

ちなみに、上記返信をしたアカウントを見に行くと、どうやらこの方はADHDらしい。

もし、何らかのトラブルを取り上げて「こういうことする奴は大体ADHDなんだよな」なんて言われたら、たぶんこの方も腹が立つのではなかろうか。「全てのADHDがそうとは限らないだろ!差別や偏見に繋がる発言をするな!」といった“not all的な反論”をしたくなるのでは。あるいは「生まれつきの特性なので本人を責めるのは可哀想だろ!」といった“不可抗力的な事情があるという方向からの反論”をするかもしれない。

例えば以前、親が車の中に子供を置き忘れて死なしてしまった事故があったとき「ここまで注意欠陥が酷いのはADHDの可能性がある」というような意見があり、当事者と思われる人達が反論、というか総攻撃しているのを見かけた。「健常者だってミスはあるだろ!」「若年性認知症の可能性もあるだろ!」「ADHD全てがそうだと決めつけるのか!偏見に繋がるから訂正しろ!」といった感じのnot all的な反論が多かったように記憶している。

これらは、どっちも事実だしどっちも正しいとは思う。

まず、ADHDは注意欠陥や多動性、衝動性といった特徴があるため、それらが原因でトラブルが起こることはあり得るだろうし、それで人に迷惑をかけることもあるだろう。しかし、全てのADHDがそうではないし、ADHDでない人も同様のトラブルや迷惑行為をしてしまうことはあり得る。また、生まれつきの特性という不可抗力的な事情があるので、悪者にするような発言は慎むべきという考え方も分かる。

そして、現代社会の方向性としては、公然とこのような発言ができてしまう風潮を野放しにすると差別や偏見が大きくなりADHDの立場が非常に辛いものになるので止めましょう、という社会通念が一般的となってきている。

俺は、これは一つの正解であり正義だと思う。

 

ちなみに、先ほどの、年配男性や中年男性を一括りにして批判するような返信をしたアカウントが自らはADHDという属性を名乗っていたのでので、いまADHDを例として書いたが、これは他のどんな属性でも同じだ。

ということで、もう少し例を挙げていってみよう。

 

例えば、誰かが「女性はヒステリーだ」とネガティブな発言をしたとしよう。まあこういった発言自体が現代社会において禁句とされてきているので、そもそも、あったとしてもバズる可能性は低いだろうが、もしもバスった場合、かなりの反論が入るだろう。様々な角度から。

「男もヒステリーな奴はいる!」「むしろ最近は男の方がヒステリーだ!」などの女性がそうとは限らないといった意味のnot all的な反論、あるいは「女をヒステリーにさせる男と社会が悪い!」「女は生理など体の構造上の負担が大きいので配慮すべきだ!」といった不可抗力的な事情を説いたものなど。まあ、あらゆる角度から反論が入ると予想される。

 

例えば、これは日本というよりアメリカでありそうな話だが、誰かが「黒人は暴力的だ」というネガティブな発言をして、それが広まった場合、これもかなり反論が入ると予想される。

「まだ人種差別を続けるつもりか!」「犯罪率が高いのは貧困と差別を受け続けた結果だろう!」など、これも様々な角度からの反論がくるだろう。まあ俺はアメリカの現状があまり分からないので、この例の反論については想像による部分も大きいが、まああると思うんだよな。

 

例えば、冒頭のツイ主の属性でもある教師へのネガティブな発言があっても同様のことが起こると思われる。もし「教師は社会経験がないから一般的感覚がズレてる」とかいう発言がバスった場合、当事者などから「いやいや、教師だって上司のと関わりや保護者からのクレームなど、一般的な社会人と同じような悩みや辛さを経験をするよ!」とか「というか、そんなこと言い出したら全ての職業の人がその職業についての経験しかできないとも言えるじゃないか!」などの反論が出てきそうだ。

 

例えば、若者についてもそうだろうな。これについては最近の風潮としてとくに強い反論がありそうだ。「最近の若者は…」だとか「最近の若者は被害者意識が強い」だとか言われようものならツイッターやヤフコメでも、YouTubeコメントでも、大量の反論が入るだろうな。これは実際に何度も見たし。

具体的な事例として以前見かけたのだが、「老人の自動車事故の報道が多いが、統計データとしては10代20代の方が多いらしい」との意見があって、それにかなりの反論が付いていた。統計データの穴という観点などから、まあ本当によくここまで色んな角度から反論を考えられるもんだなといった感じだった。

確かに統計データというものは、相関関係と因果関係の不一致であったり、あらゆる角度から分析できるものではある。しかし俺からすれば、俺自身が若い頃は無茶な運転をしてしまう傾向があったし、最近報道でもあったローリング族だの危険な運転をしている集団は若い世代であったり、若者が事故を起こしやすいという事実は大いにあり得ると思った。

しかし俺はこの反論、および若者擁護についても、一つの正解であり正義だと思っている。世間が寄ってたかって若者に偏見を持ち、若者が息苦しくなるような世の中になるべきではない。だから事実の可能性があっても敢えて言う必要はない、という考え方も一理あるので。

 

ここまでで、5つほど例を挙げてきた。障害、性別、人種、職業、年齢、といったジャンルの属性について。

俺は、ある属性に対してネガティブな偏見を持たれるような情報が出たとき、それに対して、反論をするな、とは思わない。いや、正直に言うとたまに思うことはある。しかしその属性の当事者は自分自身の立場がかかっているわけだし、当事者でなくとも、特定の属性の人々が偏見を持たれ差別されるような社会は不健全だと考え、庇い合えるのは、優しさであり、平和で先進的な社会を作っていくうえで大切なこと、だとも考えられる。

なので、感情抜きにして、これは一つの正解であり正義ではあると思うのだ。

しかし、ならば一貫性を持て、とも思うのだ。

なぜ、老人やオジサンという属性に対するネガティブな発言があっても、なんなら汚い言葉で蔑まれても、誰も庇わないのだ、誰も反論しようとしないのだ。それどころかみんなで賛同して盛り上がってやがる。

俺には理解できん。

現代社会の方向性としては、特定の属性への差別や偏見を助長させることは止めましょう、という社会通念にしていくのではないのかよ。

「こういうことを言うのは決まって年配又は中年のジジイ」じゃねーんだよ!こんなこと公然と言って、全員で賛同して、盛り上がって、誰も反論しないのは、特定の属性への差別や偏見の助長も甚だしいだろうに。

なぜ誰も反論をしないんだよ。「若い奴だって女っだって無礼なことするだろ!」「こんなこと言ったら善良なオジサンや老人までが肩身が狭くなるだろ!」となぜ誰も言わない。

これだって色んな方向から反論できるだろう。いま上にも書いたような「全てのお年寄りがそうとは限らないのにそういう言い方は止めろよ!」「年下の若者にも礼儀正しいお年寄りは居る!偏見を助長するな!」などといったnot all的な反論、あるいは「お年寄りは体力の低下など体の構造上の負担も大きいので、配慮が足りていない若者や社会に問題がある!」「こういったことが起こるのはオジサンを蔑ろにしている社会が悪いのでは!」「てか、このようにオジサンをネガティブに扱おうとする発言が公然と発信され、みんなで盛り上がっているということ自体が、オジサンが生き辛い世の中となっているということなのでは!」といったADHDや女性に対してネガティブな発言があった場合にされがちな不可抗力的な事情があるという方向からの反論もできるだろう。

なぜか、老人とオジサンという2つの属性だけが、特定の属性をターゲットにした差別や偏見に曝されても、誰も反論しないんだろな。

なんなんだこれは。

なんで誰も気づいてないんだ。あるいは気付いてるけどやってんのか?だとしたら悪質だな!

 

なんか感情論っぽくおわってしまったな…

でも、理屈としてオカシイよな絶対。先進的な社会では、君たち令和世代は、特定の属性への差別や偏見は止めようって社会通念でやっていくんだろ?なのに老人とオジサンという属性だけは一括りにしてインターネット上で叩いてもいいだなんて、オカシイですよ、やっぱり。

 

ちなみに、これを書いていて思ったんだが、俺はよく、ブログでもツイッターでも父親へのヘイトを書いているのだが、これについて気付いたことがあった。それもいまから書きたいところなんだが、さすがに長くなりすぎたので後日書きたい。

簡単に書いておくと、俺は父親という高齢男性にヘイトを向けているが高齢男性自体を叩いたことはない。しかし父親という個人は叩いている。これは一見、今回長々と書いてきた“世の中のオカシナ矛盾”には当たらないようだが、実は、差別と偏見に関する矛盾にという意味では、それに近いことを、俺も犯していることに気付いたのだ。やや抽象的な表現になるが、一言でいうと、俺は、属性と個人は分離できていたが個人と個人の行動は分離できていない、ということだ。まあ詳しくは後日書けたら書く。