カサンドラ症候群や毒親問題に見える発達障害者が発達障害者を憎む事象

俺は発達障害の診断はない。病院に行ってないからな。そして当然80歳を過ぎる父親にも発達障害の診断なんてあるはずもない。医者でもない人間が自分を含め「誰それは発達障害だと思う」などと評価するのは不適切だとわかっているし、俺は俺自身のことを正しく評価できないので、建前上俺が発達障害かどうかは全くわからんと言っておく。しかし父親は発達障害だと言いたい。しかもかなり重めの。ADHDASDの両方持っていると思う。何十年も彼をそばで見てきた俺の感想だが、まあ例を挙げるときりがないし主題と変わってくるのでここには書かないが。

で、主題なのだが、発達障害の人間が発達障害の人間を加害し、発達障害の人間が発達障害の人間を憎む、という事象は世の中に多い。

カサンドラ症候群という言葉を近年よく聞くようになった。夫が原因でカサンドラ症候群になったという妻の投稿などはSNSなどで散見される。実際にその夫に発達障害の診断がついている場合もあれば未診断の場合もあるようだ。しかしまあ共通しているのが“妻側も実は発達の気があるのでは”という点。これはまあ受け売りと言うか、そういうことをこれまたSNSで指摘している人を見かけて俺も「確かに!」と思ったわけなのだが、あると思うんだよな。発達障害の人間からカサンドラ症候群にされた側も実は発達障害だったというケース。

ここから、夫婦関係やカップルにおいて俺が思う仮説を書く。糞ヒキニートの与太話だと思って読んでくれればいい。

まず発達障害同士はカップリングしやすいと思う。これは実際に診断済みの当事者同士が当事者会などで出会うという意味ではない。単純に似た者同士だから、あーこの人自分と同じタイプだー、と意識的および無意識的に感じて惹かれ合うということだ。ヤンキー同士、育ちのいい者同士、朝が苦手なもの同士、似た者同士は引かれやすい。もちろん自分と逆の人に惹かれるなんてこともあるが、やはり同属は引かれやすい。例えば、俺が過去付き合ってきた人間は自分と同じような社会不適合っぽい人が多かった。友人も恋人も。いい歳して無職とか、ほぼ引きこもりとか、うつ病とか、そんなんばっかだったわ。今振り返るとな。学生時代はそういった社会不適合的な要素は表面化しなかったりもするんだが、大人になって答え合わせするとやっぱそういう人間たちを選んで付き合ってたんだなあと思ったりする。

まあ、話がそれそうなのでここら辺にして、次の段階を説明するするとだな、あれだ、そうやってマッチングした発達障害同士で何が起こるか?ということだ。もちろん全部が全部じゃない、おそらく病識がない発達同士の方が起こりやすいと思うのだが、まあ、不具合が起こりやすいと思う。どういうことかというと、発達ってのは拘りが強いわけだ。そして融通が利かない。まあよくいわれるASDの代表的な気質だよな。で、当たり前だが、拘りが強い者同士が各々の拘りをぶつけあうことになるわけだ。同じ発達障害といっても拘りのベクトルは真逆だったりする。それで反発しあう。ぶつかりあう。もしここで冷静にお互いの意思、意見を出し合って、冷静に話し合いをして、公平に落としどころを見つける、といった賢いことができるのならいい。ちゃんと診断のある人間ほどここら辺をわきまえていたりする。逆に未診断の人間ほど厄介だったりするのかもしれない。病識がないがゆえに、俺の拘りは病的なものではなくただただ俺が正しいのだ、と思い込んでいたりする。それでさらにADHDの気質も持っていたりするもんだから脳内多動で、あるいは低知能だったりもして、相手の意見を冷静に聞けなかったりする。両者発達なら互いにそのようになる。で、結果何が起こるかというと、強い方が勝つ。強い方が話し合いもせずに一方的に自分の拘りを通す。弱い方は無条件に自分の拘りを諦めて相手の拘りを受け入れさせられることになる。このストレスは想像を絶するものだろう。拘りが強く融通の利かない人間が、その拘りを諦めて、他者の自分にとっては意味不明の拘りを受け入れられさせ続けるという。

で、発達が発達を加害し、発達が発達を憎む、という構図ができ上るわけだ。発達障害の人間が発達障害の人間に向かって「カサンドラだー!」と被害を訴えるようなことになる。

ここまで、夫婦関係やカップルにおいて、発達障害の人間が発達障害の人間を加害し、発達障害の人間が発達障害の人間を憎む、という事象が起こる仕組みについて書いたが、これは親子でも同じと思われる。

まず、親子ならなおさら双方が発達障害というケースも多かろう。なんせ遺伝するわけだからな。で、先ほど書いたように発達同士だとお互いの拘りが強いくせに上手く話し合って公平に落としどころを見つけて都度解決することが至難なわけだ。アホな発達親はアホな発達子に自分の拘りを無条件に押し付けるだろうよそりゃ。親子の力関係なんて最初から決まってんだし、よりスムーズよ。もちろん発達子にも個人的な強い拘りはあるもののそんなもんは無視よ。発達子の話、言い分なんて聞く耳などもつわけもねえ。そしてこの、一方が一方を無条件に抑圧する、という関係は長年続くことになる。

で、この強烈な抑圧が長く長く続いた結果「毒親がー!」となる。つまり発達が発達を加害し、発達が発達を憎むということになるわけだ。

さらに、この事象が起こりやすい要因はもう一つあって、それは先ほどの似た者同士がカップリングしやすいというのとはべつに、強いものと弱いものでカップリングしやすいというのがある。いや、正確にいうと、無能でかつモラハラ気質な人間は自分に従わせやすい人間を選ぶのだ。それがそういった人間にとっての生存戦略だからだ。無能でかつモラハラ気質な人間は、無能な自分のことをバカにしない、簡単に騙せる、従わすことができる、無条件にケアする側にまわってくれる、そんな相手を探しさまよって生きている。そして運が良ければマッチングしてしまう。例えば、まあ今でこそ女も強くなったが、亭主関白が当たり前の時代は、その効力をさらに強化するため、無能な発達モラハラ男はやたらと年下の女と結婚したりしていた(と想像する)。まあ、かなしい話うちの両親がそれなわけだ。父親は自分の無能さを内心分かったうえで戦略的に自分の馬鹿さを見抜くことができずなされるがままにになるような性格の女である母親を捕まえたんだろうなあと思ったりする。

これが親子になると話は変わってくる。親は子を選べないからな。だから教育する。つまるところ従わせやすい人間に育てる。これは言葉を変えると、優しい子、素直な子、真面目な子、だったりする。これらの言葉のオブラートに包まれて本質は隠れていたりするが、その実は“従わせやすい人間”を作りたかっただけだったりするのだ。もちろん、そうではなくて、本当にいい意味での真面目、素直、優しい、子になってほしいという思いもあるだろうがな。そこらへんはグラデーションにもなっているだろう。しかしまあ、無能でかつモラハラ気質な人間が親になると、悪い意味のほう、すなわち子を従わせやすい人間にしたいだけというケースも多かろう。もちろん自己を正当化するため、いい意味のほうを掲げつつ。

これらがさらに、発達が発達を加害し、発達が発達を憎む、という事象を加速させるわけだ。

まとめると、

  • 発達同士はカップリングしやすい
  • 親が発達なら子も発達の可能性が高い
  • 発達同士は双方拘りが強くぶつかりやすい
  • 発達同士は話し合いが苦手なので無条件に強いほうが弱いほうを従わせることになりがち
  • さらに、無能なモラハラ人間と従わせやすい人間もカップリンしがち(親子の場合、無能な親は従わせやすい子に育てがち)

これらによって、発達が発達を加害し、発達が発達を憎む、という事象が起こる。発達障害の人間から被害を受けたと訴えている人(カサンドラガー!毒親がー!と叫んでる人)自身も実は発達障害だったみたいなことが起こるわけだ。