脳裏から離れない気分の悪いコンテンツ

まず今日の日記を書く。

8時ごろ布団に入って布団から出たのは22時半ごろ。

相変わらず悪い癖は治りにくい。オナニーやスマホ依存。今日もまた布団にスマホを持ち込んでしまったし寝起きのオナニーもしてしまった。

布団から出ると、軽食を取って、ちょっとだけ金曜ロードショーラピュタを見て、いつも通りPCの前で非生産的な時間を過ごして、深夜の散歩をして、今これを書いている。

まあ暴飲暴食を抑えれている点と散歩をほぼ毎日している点は良い癖を維持できていると言える。

 

そしてここからが本題。

布団のなかでスマホを見ているとき、いやなものを見てしまった。

それがずっと脳裏から離れなくて困る。

その後好きなコンテンツを見るなどして中和しようとするもなかなか難しい。やはり脳裏に焼き付いた気分の悪いコンテンツの内容ばかりが湧いてくる。やはり動物の脳ってのは危険を察知して同じ轍を踏まないようにするため不快なものほど強く記憶するようにできているのだろうな。

書くことで“これ以上この記憶は維持しなくてもいい”と脳が忘却を許容するだなんてことがあるのかもしれんが、べつにそれを期待しているわけでもないのだが、その脳裏から離れない気分の悪いコンテンツについてちょっとだけここに書いておく。

ロシア兵によるウクライナ人捕虜への拷問の話だ。ちなみに、その件で最も強く印象に残った情報はこのツイートだ。まあこれを読んでいる人は見ない方がいいと思う。見ない人のためにマイルドに説明すると、自身のやった壮絶な拷問を嬉しそうに語っているロシア兵の会話が傍受され公開されており、その拷問は壮絶を極め、しかしウクライナ人は気概にも「死ぬのはこわくない」などといった態度をとるのだが、その態度が気に入らないのか拷問はエスカレートしてゆき、気概なウクライナ人も何も反論できなくなってしまう、といった内容だ。

もちろん、このコンテンツの内容が実在するものとは言いきれない。戦争の情報などはプロパガンダに溢れているから。しかしこのような壮絶な拷問のやり取りと類似したものが時代や地域を越えてこの世の中にどこかには実在しているというのは想像できる。

そしてこのコンテンツの内容について俺はどう思ったのかというと、まあ単純に恐ろしい気分になったし腹も立ったのだが、さらに「俺の価値観や指針などは平和な世の中でしか通用しないな…だから他者の価値観を否定するようなことはやはり悪手だな」などとも思った。まあ読んでいる人からすれば何のこっちゃねんと思われるかもしれんが、まあ自分の感情と思考の備忘録として書いてるのでそれでいい。

とにかく色んな感情と思考が湧いてきて非常に不快だわ。考えすぎなのは分かってるのだが考えてしまう。まあ見なければよかったな。

あと、もし引きこもりになる前だったらまた感じ方も違っていたのかもしれない、今は非常にメンタルが脆くなってしまってるんだろうな、などとも思った。