竹についての経緯と、今後の対策と、父親と俺の認知の歪み

今日も父親がせっせせっせと竹に水をやっていた。以前も書いたが、彼は竹の育成に余念がない。というか異常な執着がある。

竹についての経緯

はじめは西側の軒先から30センチぐらい(外壁から80セントぐらい)の位置に3本ほど植えていた。そもそもこの時点でおかしかった。建物の側に竹を植えると根が広がり建物に影響がでる可能性があるので注意が必要だ。一応3本の竹は上部のみ軽くレンガで囲んであったが、土下は野放しだった。これじゃ意味がない。結局根は四方八方に広がり放題だ。

はじめに植えたのは20年以上前の話で、そこから歳月をかけて根は広がり続けた。たびたび母が「根の周囲の土下に仕切りを入れて隔離してほしい」「広がり過ぎた根は間引いてもいいか?」などと交渉を試みるも、彼は断固拒否、および逆ギレする始末。それどころか彼は新たに竹を購入し更に移植、追加していった。

そういえば余談だが、何度かの交渉の末に一度だけ、仕切りを入れる、という話になったことがあった。一時は彼を説得するのに成功したのかと思った。しかし驚くことに、彼は竹の周囲に仕切りを入れるフリをして、実は竹ではなく、竹の側にあったナンテン等ほかの植物の周囲に仕切りをしていたのだ。しかもかなり狭く密封度の高い仕切りをしていた。結果として、竹の側にあった他の植物たちはどんどん元気をなくしていき、小さくなっていった。そして竹だけが猛々しく生い茂っていった。竹だけに猛々しくってか。

竹は現状も成長し続けている。上に伸びた竹は年に一回ほど彼自身で剪定しているようだが、根は広がり放題となり、家の周囲にはいたるところに竹の根が張っている状況。ちなみに、選定した竹は彼がすべて大切に保存している模様。どんだけ竹が好きなんだよ。

そして、竹の根によって玄関と階段はヒビだらけとなり、とうとうコンクリートを突き破ってタケノコが生えてきている始末。このままだと崩れる恐れがある。

これも余談だが、玄関と階段のヒビ割れにいたっては明らかに目に見えた竹害と分かるので、それについて母が彼を説得しようと試みたことがあるのだが、彼曰く「ここを作った建築業者の欠陥工事によるものであって竹のせいではない」とのことらしい。んなわけあるかアホと言いたいところだが、話して分かる相手ではないのでグッとこらえるしかない。

 

とまあここまでは、以前に書いた記事と被っている部分もあるが、まあそこはご容赦いただいて、ここから先が今日書きたかった内容だ。ちなみに二つある。前置きが長すぎたな。

今日書きたかったこと一つ目

まず、玄関や階段の崩壊の危険性についてはもう諦めている。これも以前書いた記事に書いてある。

しかし、家の基礎・土台にも影響がでてきそうなところが問題だ。ここは流石に安易に諦められない。

今日、冒頭に書いたせっせせっせと水やりをしているところを見て驚いたことがあった。というのも、彼は家の外壁のすぐ側にまで侵食してきている根にまでせっせせっせと水をやっているのだ。つまり外壁スレスレの位置まで水をやっている。なんなら外壁に向かって水やりをしている。

何を考えているのかホンマわからん。基礎・土台の下に根が入り込んだらどうしようとか思わないのかね。このままだと家の外癖や基礎・土台にまでヒビが入るじゃねーか。

しかもこれだけ広範囲に根が張りまくっていたら家が傾くんじゃないかと心配になる。というか、既に西側の部屋にビー玉などを置くと思いっきり東側に転がっていくのだが、これは竹の根が西側を押し上げているのでは、という妄想なのか事実なのかよく分からん観念も俺には湧いてきてしまうのだ。てか観念というより、多分普通に可能性として十分あり得ると思うんだよな。

 

そこで対策を考えてみた。

玄関や階段のヒビ割れと同様に諦めて放置するというのも考えたのだが、これについては流石にできるかぎりの対策はしたいと思い直した。

数少ない彼が家にいない時間帯である朝9時台の30分間ほどの間に、外壁から近い位置の根をこっそり間引く。彼に気付かれないように、日に分けて少しずつ少しずつ。もちろん、気付かれない程度しかできないのですべて取り除くのは無理だろう。しかしやらないよりはマシだ。何もせずに外壁や基礎・土台にひびが入ったら後悔するだろうからな。一応できることはするのだ。

 

以上の問題と対策が今日書こうと思っていた内容の一つ目だ。

今日書きたかったこと二つ目

そしてここからが二つ目。

ちなみにここからは、やや論点がずれる。だから別記事に書こうとも思ったのだが、まあ別記事に書くほどでもないか、と思い直したのでこのまま書くことにする。

例えば、彼は竹の育成への情熱が強すぎるあまりか、竹害による玄関や階段の崩壊および外壁や基礎・土台への悪影響について全く危機意識がない。

しかし一方で、彼は庭にあるすべての木(低木含む)の枝や園芸用支柱にいたる、あらゆる“突起”にカバーをかぶせていく、という奇行をしている。カバーは主にヨーグルトやヤクルトの空容器だ。非常にみすぼらしい様相なのだが、彼にとっては安全対策上必要なようだ。これは非常に強い、強すぎる危機意識ともいえる。

竹害への危機意識はゼロなのに枝や支柱などの突起への危機意識は過大にある。

前者は明らかに実害が出ている。事実として玄関や階段のコンクリートを突き破ってタケノコが生えてきている。後者は一般的に考えても明らかにおかしい。確かに万が一目などに当たる可能性も無きにしも非ずだが、まあほぼ無いだろう。てか高い位置の支柱にまでヨーグルトの空容器をかぶせてあるが、これは絶対に目などにも刺さることはないだろう。高くジャンプして支柱に目から突っ込まないかぎり。

つまり危機意識に関する認知が歪んでいる。

危機感を持つべきことを気にせず、危機感を持つ必要がないことが気になってしまう、という。

そして思ったのが、これ俺じゃん、っていう。

現在引きこもりという状態で、何が一番ヤバいことなのか、何について行動を起こすべきなのか、傍から見れば俺は完全に危機意識がない奴だ。そして逆に、なんでこんなこと気にしているんだ、頭がおかしいんじゃないかコイツ、もっと気にするべきことあるだろ、もっとやるべきことあるだろ、と思われても仕方がないような醜態を演じている。

自分でも分かっている。しかし分かっているの記改善できない。ということは分かっていない方に近いんだろうな。現に、父親を見て、危機意識に関する認知が歪んでいるだとかホザいておきながら、実は自分自身がそうだったなどとふと気付いてしまう、いや、ようやく気付くぐらいなんだから。だからまた俺はすぐ忘れて気付けなくなるんだろう。そして神様の前で醜態を演じ続ける。