気分とその原因を文章化すると誤解があるので書くのは諦めようと思ったけどやっぱり書く

メンタルの状態が悪いときにブログを書くのは無理だな。だからブログが書けてないときはメンタルの状態が悪いといえる。

仕事やプライベートの人間関係がある人はそっちが忙しいとき時間がなくてブログが書けない、なんてこともあるが、引きこもりの場合そういうので忙しくなるってことはないので、ブログが書けるか書けないかは時間ではなく気分にのみ左右される。

ああでも親が倒れたとか自分が倒れたとか、引きこもりでもある意味忙しくなる可能性はあるな。ということは引きこもりの場合、メンタルの状態が悪いとき、もしくは家族や自分に不幸があって忙しくなったときブログを書くのが無理になるってことか。

まあでも毎日ブログ書くってことはそういうときですら書くってことだよな。

ちなみに前者と後者なら前者の方がマシだと思うのだが、今日は前者で書くのがムリそうだなあと思っていたわけだ。しかし結局今こうやって書いている。

前者の方がマシといっても度合いによるというか本当にムリなこともあるのかもしれないが、今こうやってPCの前に座って管理画面を開けたということはメンタルの状態の悪さもそこまで大したことなかったのかもしれない。そうみなして今こうやって頑張って書いている。

というよりもブログを書くためにメンタルの状態を無理やり改善しているといえるかもしれない。これは毎日ブログを書くことの効能の一つかもしれないな。

しかしあれだな、少し話は変わるが、ブログを毎日書くと言ってもその内容がこの記事のように『ブログを書くことについて』ばかりだと、まるでネズミ講みたいというか、稼ぐ方法を売って稼ぐ情報商材屋というか、ラッパーのことを曲にするラッパーというか、なんとなくモヤモヤするな。

まあでもそこに拘っていると、毎日ブログなんて書けないわけであって、俯瞰してものごとを見るっていうのは、ある意味そういう拘りすら捨てて約束を守ることなのかもしれない。

あるいはそもそも“毎日ブログを書くこと”自体に疑問を感じはじめたりもする。やはり意味ないんじゃないかなと。しかしここで止めるのも面白くないのでこうやって書いている。これについてはあまり俯瞰したり深く考えすぎたりせず、何も考えずにとりあえず続けてみる方がいい気がするので、まだしばらくは機械的に続けてみようと思う。

ちなみに今日なぜメンタルの調子が悪いかというと、これは複合的かつ複雑なので文章化するのが難しいというか、何となく勇気が出ないというか、誤解を完全に防ぎつつ書き切る自信がない。まあそんなこと言ってたら何も書けないわけで、そこを敢えて書くってことで書く力は身に付くのかもしれんが。

メンタルの調子が悪いのは、単純に俺がだらしがないから。これが答えだし、これを答えだと思いこんで、これを基準にして行動し、ものごとを改善していった方が上手くいくのだとは思うのだが、しいていうなら父親への憎悪が止めれない。

あるいは、父親の腹の中で俺への憎悪だったりあらゆることへのストレスが溜まっていっているような気がしてならない。それは恐らく俺のせいというか、俺に対して父親が言いたいことをあまり言えなくなったことなどが考えれられる。しかしその矛先は母親に向いていたりもするので母親のことも心配になってくる。まあだから父親への心配と母親への心配は全く別物だな。前者は腫物、恐怖、不安で後者は気遣い、といったニュアンスなので。

今でも俺と父親の対立はあって、俺も腹の中にストレスを溜めているのだが、最近は偶にそれを露骨に態度に示してしまうことが多いので父親にもストレスが溜まってきているのではなかろうかと、それがどういう形で爆発するのか不安なのだ。そのうえで憎悪も非常に強い。憎悪を打ち消す為に憎悪を態度に出すと、今度は不安が大きくなるというジレンマ。対策としては、憎悪を別の形で昇華する、あるいは憎悪を持ってしまう考え方を変えなおす、あたりがいいのかもしれないが難しいな。てかなんか俺はかっこつけてるな。逆にかっこわるいな。