説得力のない論理

最近ブログが書けなくなった理由として考えられるのが、本当に書きたい記事を書く勇気が湧かないという点がある。

俺の場合、本当に書きたいことが書けないのなら、次やその次に書きたいことを書くのは嫌だ、と思ってしまうんだよな。

だから結果として何も書けなくなる、という。

 

これはあれだな、100or0思考ってやつだな。

これは、ブログを書くということだけではなく全てにおいて、俺の人生に悪影響をきたしてきたような気がするな。

一番重要な○○ができないぐらいなら、もう何もしたくない、となる。それで何もしなくなる。完全に不貞腐れる。ちなみに、これが酷くなると、○○ができないなら死にたい、となるんだろうな。まあそれは、時と場合によるんだろうが。例えば事故で首から下が麻痺して一生動かせなくなって、首から下が動かせないぐらいなら死にたいとなってしまう人は割と多数派な気もするし。

 

話しが無秩序に展開しそうなので、ここから整えていく。

ブログが書けない理由を書いて、それを抽象化すると全てに当てはまると書いた、ここからは再度ブログが書けないという具体例に戻して、その対策を書いて、また抽象化しようと思う。

今回のような理由によってブログが書けない場合、選択肢は3つある。

  1. 勇気を出して本当に書きたい記事を書く
  2. ブログを書くのを止める
  3. 本当に書きたい記事の次やその次に書きたい記事、あるいはもっと優先順位の低い記事を書く

1.ができれば苦労はしない。まあそれでも思い切って1.をやろうと意気込むのは尊いことだとは思うが。

2.は俺の場合、選択肢にはない。なぜなら“毎日ブログを書く”という決め事が優先順位としてそれよりも上位にあるからだ。まあ、もしこの決め事が無ければ余裕で2.を選んでいたとは思うが。

つまり対策としては、3.が一番妥当なんだろうな。まあ、だから今もこうやって駄文を書いているわけだが。

ちなみに、3.をやっている間に1.の勇気が湧いてくる可能性も期待している。あるいは、もっと重要な書きたいことが沸いてきたり、考えが変わって、もう1.はどうでもいいや、となるかもしれない。

そして、この対策も抽象化して全てに当てはめることができるわけだ。

ひとつの問題にぶち当たった場合、全てを投げ出すのではなく、できることをやる。その間にその問題を解決できるようになるかもしれないし、あるいは、どうでもよくなって諦められるかもしれない。すくなくとも、ひとつの問題で腐ってしまいやる気をなくし完全に停止してしまったり、ましてや全てを投げ出して終わらしたりはしない。もちろん時と場合にはよるがな。

まあ引きこもりという完全停止状態を6年も続けている俺が書いても何の説得力もないがな。