父親への負の感情を言語化(その1)

今日は父親に対する負の感情について書く。まあ“感情について深く分析したところで問題は何も解決しない”という考え方があるらしく、俺もその通りだとは思うんだけども、あくまで自分用の記録として書いてみる。毎日ブログを書くことは自己を観察するという目的もあるわけだしな。たとえそれが直近の問題解決に直接的に結びつかないとしても書いてみる。

まあ父親に対する負の感情はいくつかあるのだが、今日は昨日の記事の後半でもチラッと書いた、父親に対して我慢をしてしまうと憎悪が沸き、反抗すると不安感あるいは罪悪感が沸いてしまう、というジレンマについてもう少し詳しく書く。

まず、以前までの父親との関係性と今の父親との関係性は違う。

以前は、父親はよくオカシナコトを要求してきて、こちらがそれを聞き入れなければ怒り狂った。それはそれは大目玉を食らうので、聞き入れるしかなかった。あるいは父親はよくオカシナコトをしだすのだが、場合によってはこちらも迷惑を被るので、その際に文句を言うと怒り狂った。なのでそれも黙って受け入れるしかなかった。

今はそうではない。3年ほど前だろうか、俺が父親にブチ切れた。俺は父親の服を掴み近所中に聞こえるぐらいの大声で怒鳴り散らかした。父親も昔はそこそこ体は大きかったのだがもう老人だ。俺の方が一回りも二回りもガタイがいい。一時は父親も対抗してこようとしたが、俺のあまりにもの剣幕、以前ならあり得ないようなキレ具合にたじろいだのか、黙り込んで逃避した。俺は追いかけて怒鳴り続けた。こういうことが何度かあった。それ以来、父親の態度が一変した。長年のあの態度は何だったのかというほどに。俺に対してほとんど盾突いてこなくなった。

父親がオカシナコトを要求をしてきても俺は突っぱねれるようになった。あるいはオカシナことをしだして迷惑を被った際に文句が言えるようになった。

しかし、これで一件落着!とはならない。

父親のオカシナ要求を突っぱねる、あるいはオカシナコトをしだして迷惑を被るとき文句を言う、これをすると俺は不安感あるいは罪悪感に苦しむことになるのだ。まあ、息子ブチ切れ事変以来、父親はビビって気を使うようになったのかオカシナ要求はあまりしてこなくなったので、前者よりも基本的には後者による不安感および罪悪感だな。

ここで実際に今日(日付が変わってるので正確には昨日だが)あった事例を書く。

まず父親は体中にカイロを貼る習性がある。毎日全身十数か所に貼っているようだ。メーカーは桐灰でなければダメという拘りがある。それに対して母親はお金が掛かるから止めてほしいと言っているが、俺はとくに咎めようとは思わない。俺にとって特段不快感もないし直接的な迷惑もないので勝手にすればいいって感じだ。

しかしついさっきの話なのだが、母親がストーブのついた部屋でテレビを見ていたところ、父親が入ってきて寝転がった。その際、ドアを開けたままにするのだ。当然、部屋には冷たい空気が入ってくる。今日なんてめちゃめちゃ寒くて部屋の外は5℃を切っている。そりゃあんたは全身にカイロ貼ってるからちょうどいいのかしらんが自分勝手すぎるだろと。母親は俺と違って父親にブチ切れれないので何も言わず寒さを我慢しているようだ。

俺は別の部屋にいたのだがそれを見ていると我慢できず無言で勝手にドアを閉めてやった。昔の父親ならここで怒りだして手が付けれなくなる。しかし今はそれができないので俺が目を離した隙にまた黙ってドアを開けていた。すると俺がまた無言で閉めた。

これを3回ほど繰り返したところで、俺はさらに我慢ができなくなり、「ドアを開けると冷たい風が入って寒いだろ!どうしても暑いのならせめてストーブの設定温度を下げるなりにしなよ!そもそもドアを開けるとストーブの出力は強くなるので灯油の無駄にもなるだろ!」とぶっきらぼうでキツメの口調で言った。この時父親は無言だった。昔ならあり得ない状況だ。俺はそのまま別の部屋に戻ってイヤホンを付けてもうドアの方は見ないようにした。

ここで不安感および罪悪感が沸いてきたのだ。父親は酷くプライドが傷つけられたのでは?言わない方がよかったのでは?父親の心の時限爆弾のカウントが始まっていたらどうしよう?これが原因で父親の心身に大きなトラブルが起きたら俺自身に降りかかるだけじゃないか…やはり言うべきではなかった…と。

しかし逆に開け放ったドアを見て見ぬふりをして我慢したら、父親への強い憎悪が沸いてきて結局は苦しむことになるだろう。俺は非常に未熟だ。こんなことで強い憎悪なんておかしいのは分かっている。しかしどうしても沸いてきてしまうのだ。

どっちを選べばいいのだろうか。

いや、どっちも選ばなくてもいい、どっちも間違っているのだから、と思うこともある。例えば、我慢しつつ憎悪はせず一人暮らしを目指すなど他のベクトルへエネルギーを変換する、あるいは父親のプライドを傷つけずに解決する方法を考える、など。

しかしそんなもんは絵に描いた餅、キレイゴトにすぎない、現実として憎悪or不安感および罪悪感のどれかになってしまうのだ。ここ3年ぐらいずっとこれだ。

ちなみに多くの場合、憎悪を選ぶことが多い。やはり不安感および罪悪感の方がつらいからなのか、あるいは、過去の記憶からやはり父親に反抗するのは今でもかなり躊躇うからなのか。

まあ俺自身が不幸だからこんなちっぽけなことが気になってしまい苦しむことになってんだろけどな。