人生が悪くなっていく段階、希望が消えていく段階におけるメンタルの波の法則

引きこもりになって8年になろうとしているのだが、一番ひどかったときに比べて今はメンタルがまだマシだったりする。

生活改善などを徐々に進めていった結果というのが大きいのかもしれないが、人生が悪くなっていく段階、希望が消えていく段階において、メンタルには特有の波のようなものがあって、それも関係している気がする。

一番ひどかったのは2018年の夏からの2年間ぐらいだろうか。2018年の春までは色々と辛いことはあったものの、描いている理想のようなものがあって、そこを心の拠り所にしていたのかもしれない。しかし、夏になる頃、心のどこか奥深くで「ああ理想はもう厳しいな」と感じ取ったのかもしれない。

例えば、理想が10だとしたら、それが7になってしまった。どんなに努力したところで7しか無理だと悟ったのだ。そこからでも頑張れば7も叶うのならいいじゃないか、と思われるかもしれないが、完璧主義者にとってそれは0と同じなのだ。10が無理とわかった途端その景色は一変し、メンタルは急激に萎える。

その後、俺は何の行動もせず、何の前進もできぬまま、年齢だけ重ねた。今や2024年の春。自分自身の老い、社会的立場の悪化、親の状態の悪化、あらゆる状況が過去最悪の状態になっている。

今、3といったところだろうか。2018年の夏ごろ7だったのが更に3まで下がった。

しかし、10が7に下がっときに比べるとそのメンタルの落ち込みはマシなのだ。10から7よりも、7から3のほうが確実にリアルの状態は凄まじく悪化しているのだが、一方でメンタルへのダメージは小さかったのだ。

そして、リアルの状態はこの後も下がり続けるだろう。3が1になって、1が0になる。

おそらく、3が1になるまでは今から大きくメンタルが落ちるということはなく、1が0になるときにまた、凄まじいメンタルへのダメージがくると思う。というか、その段階ではもう自殺するしかなくなっていると思われる。

つまり、理想が10から7になったときのメンタルのダメージは大きいが、7から1まではそれほどでもない、そして1から0になるときこの上なく大きなダメージがくる。なぜこのような不規則なメンタルの波があるのかというと、先ほど触れた完璧主義が関係している気がする。

完璧主義者は、0を1にするとき非常に苦しむ。なかなか着手できない。ここが一番大変と言っても過言ではない。しかし1から先は比較的楽だったりする。1,2,3…と心的負担は減っていく。しかし最後が近づくにつれ、7ぐらいだろうか、そこから完成である10にするときまた心的負担が増える。要するに着手と仕上げが大変で、その中間は比較的楽ということ。例えばブログを書くのもそうだろう。書きはじめるのが怠くて書いているうちに楽になってきて書き上げるのときまた大変になったりする。

人生が悪くなっていく段階、希望が消えていく段階におけるメンタルの特有の波とは、これとは逆の方向を辿っていってるような感覚がある。つまり、完成されていた理想が不可逆的に崩れてしまった瞬間、10から7ぐらいになってしまったとき、心的負担は非常に大きい。しかしそこからさらに崩れ続けている間は心が麻痺しているのか、慣れなのか、比較的楽だったりする。そして1から0になるとき一番大変な負担がくる。

まあ、今3ということは、たまたまメンタルが安定しているだけかもしれないということ。油断してはいけない。1から0になる瞬間までにはなんとかしないと。