病識のない強迫観念及び強い拘りのある者同士の同居は難しい

あれだな、Twitterでたまたま見かけたんだが、布団を外に干すと虫が付く気がして部屋のなかでしか干せない、という人がいるみたいだな。で、それは強迫観念からくるものらしい。

その感覚は俺にはいまいち理解できないのだが、特定の虫や動物が異常に嫌い、というかある種の恐怖症のようなレベルになっている人が世のなかに沢山居るというのは知っている。強迫観念とそれは別のものだとは思うのだが、趣味や価値観の違いというふうに、人間には好き嫌いがあるのは確かだとも思う。そういった違いによって強迫観念にも個人個人で違ってくるんだろうなと、そのツイートを見てふと思ったのだ。

あれだ、うちの父親は蚊などの虫が異常に嫌いだ。殺虫剤を撒きまくる。蚊なんて誰でも異常に嫌いなものだ、と反論されるかもしれないが、うちの父親はそのレベルではない。たとえば玄関を出るとき殺虫剤を散布しまくる。30秒ぐらいは撒いているのではなかろうか。たとえ夏場の夕方であっても玄関を出るときに30秒も殺虫剤を撒かないと外に出られない人なんてそうそう居ないだろう。ちなみにそのせいでむかし飼っていた金魚が全滅したことがある。母親がそんなに撒かなくても…と思わず言うと、父親は蚊が玄関のところで待ち伏せしている!と力説していた。というか怒りだしていた。だから黙って放置するしかなかった。ちなみに思うのだが、その力説は嘘だ。彼はおそらく本当に蚊が待ち伏せしているとは思っていない。蚊が待ち伏せしているような気がしているだけで、実際には待ち伏せ成していないと頭ではわかっているはずなのだ。俺は彼に似ているところもあるのでそこら辺は分かる。というか最近になって分かったのだがな。つまり何となく気持ちが悪いから、殺虫剤を撒かないとモヤモヤするのだろう。そこに合理性はないし、ただの拘り癖のようなものである。それはある意味強迫観念に近い。まあ強い拘りも強迫観念も同じようなものだと俺は思うのだが、まあそのことは別の機会で書くとして。

で、一方俺としては、殺虫剤を異常に嫌悪するところがあった。例えば噴射された殺虫剤が手に着いた気がすると手を洗う。なんなら体も洗う。噴射されたものが手に着いたかどうかなんて感覚的なものなので、実際についてなくても付いた気がするし、何度も何度も洗うことになる。そしてもっと厄介なのが、殺虫剤で虫が死ぬことで何か恐ろしことがあるのではと俺は考えてしまう。これも病的なレベルでだ。現在は大分マシになったが、以前は家の中に蚊がいても俺は殺すことができないので捕まえて外に逃がしていた。何度も拝むなどの儀式もしていた。

その上で父親が殺虫剤を撒きまくるもんだから、まあ本当に地獄のような不安感で、寝たきりのようになっていた。まあ今も寝たきりのような生活なのだが、今のような“怠け”というよりもあれは“グロッキー”といった感じだったな。今はまあ色々と改善してきてはいるのだがな。さっきも書いたが。

で、ここまでの話で、この記事の表題の意味はご理解いただけたと思う。

強い拘りだの、強迫観念だの、と言うが、これらはベクトルが個人によって全然違うのだ。例えば、絶対に洗ってはいけないという拘りがある人もいれば、皮が擦り切れるほど洗わないといけないという拘りがある人もいる、どちらも強い拘り、及び強迫観念と呼べるシロモノだろう、しかしそれは人によってベクトルが違う。

例えば、同居するにしても、強迫性障害だとかアスペルガー症候群だとかの概念をある程度理解している者同士なら、その上でお互いを尊重し合う気があるのなら、なんとか互いの折り合いの付く着地点を探すことぐらいはできるので、まだストレスはマシなのかもしれないが。しかしまあ、それもたぶん無理だと思うがな、個人的には。だって、言ったら悪いが、こんな強い異常な拘りがある人間は、他人への理解と配慮を優先するような余裕がない場合が殆どだろう。脳の容量や特性的に。

話しを俺の話に戻すと、父親はそういった拘りや強迫観念が多々あるのだと思われる。さっき書いた虫や殺虫剤なんて一例でしかなく、てか序の口で、そういったものは多岐多数に渡りある。ちなみに、ここ数年になって強迫性障害だとかアスペルガー症候群だとかについて色々と調べたら、まさにそれに当てはまるなと気付いた。で、その遺伝子を引き継ぐ俺も当然ながらこの合理性を無視したような意味不明な強い拘りや強迫観念が多岐多数ある。しかしながら先ほども書いたように俺と父親はベクトルが違うのだ。例えば父親は蚊が嫌いで俺は殺虫剤が嫌い。それぞれ合理性を欠く異常なレベルで。どちらも譲れない。つまりどちらかが地獄を見ることになる。

こういった関係性は結構多いのではなかろうか。とくに親子では。そうだな、中年の子と、高齢の親、そして両者ポンコツ、といった場合なら割とあるのかもしれない。というのもその世代の親は強迫性障害だとかアスペルガー症候群だの概念自体を知らんだろうし、まあ病識なんてさらさらないわけだ。だから自分のオカシナ観念、強い拘りなんかも、そもそもオカシイことだと疑いすらせず無意識に遂行していたりする。で、この世代の親は子に対して絶対的存在な場合が多いので、そのオカシナ拘りや強迫観念による奇行や言いがかりを、子が嫌がろうと、聞く耳など持たないだろう。で、どんどん両者の関係、というか子が親に不満を募らせていく。しかしこれは以前も説明したように、世間の風潮として子にとって親は絶対的存在であり無条件に尊敬し慕う対象だとされてきた昭和の時代であれば、その常識に乗じて思考停止して、まあ何となく不快感は感じているが、親が悪いとまでは思わなかったりする。しかし時代を超えて、毒親ブーム、親ガチャブームといった、親を憎き対象としてもOKとしてしまう令和の価値観が台頭してきたことにより、またその風潮に乗じてしまう思考停止人間は、とうとう何となく不快感だった感情を親への怒りへと変換して爆発させてしまうという。まあ今現在の俺のことなんだけどな。