オジサンは弱者(障害者とかわらない)

今日も昨日と変わらぬ一日だった。肛門の痛みは昨日とあまり変わらない。

変な時間に寝て変な時間に起きて、生産的なことは何もせず、ただダラダラとしただけの一日だった。

ダラダラの半分ぐらいはツイッターをしていたので、今日はとある連投ツイートの内容をここでまとめておく。大した内容ではないが、まあ昨日とほぼ同じ内容の日記を書くのもなんなので。

ちなみに該当するツイート原文は一番最後にリンクを貼っておく。

 

まず、「オジサンのことはオジサンも嫌っている」という旨のtweetがながれてきて目に入った。確かにそうだなと納得する部分があった。

というか以前、オジサンはオジサン同士でも警戒しあっているし仲良くなるメリットも低い、みたいな内容の記事(参照:中年以降で孤独だとずっと孤独になりがち)を書いたことがあったな。この記事では中年と書いてあるが、まあ主にオジサンのことだわな。おばさんというよりもオジサン。

それに加え、世間一般的によく言われているし、というか実際にそうだと思うのだが、まず若い女性はオジサンのことが嫌いだ。臭いし醜いし話が通じないしエロい目で見てくるし。

そして若い男性もまたオジサンのことが嫌いだ。臭いし醜いし話が通じないしエラそうだし。

さらにおばさんもオジサンのことが嫌いである。臭いし醜いしメタボだし頭固いし醜いしハゲだし。

つまりオジサンは全員から嫌われている。

そしてさらに、オジサンは若い人に比べ体力がない。記憶力の低下など脳も衰えてきている。心身ともに病気になりやすくなっている。

まとめると、オジサンは臭くて醜くて、老若男女すべての人から嫌われていて、体力も頭脳も乏しく…でもすべての人から無条件に嫌われる属性であり、理解や配慮はされず差別されるばかり。

ここまでの内容で、なぜオジサンに一番自殺者が多いのか?なぜオジサンに一番餓死者が多いのか?なぜオジサンばかり無敵の人になるのか?などの答えが見えてくるのではなかろうか。

弱者であり一般人からは理解や配慮(つまり支援)が望めないのなら、国が支援すべきではなかろうか。オジサンというだけでこれだけのデメリット(つまり社会生活を送る上での困難)があるのなら、国はオジサン手帳やオジサン年金を設けて中年以降の男性を支援していくべきではなかろうか。

すると、「いやいや、オジサンって権力者や金持ちがたくさんいるじゃないか」という反論がくるかもしれない。しかし考えてみてほしい、というか調べてみてほしい、裕福で強者なオジサンなどごくごく一部である。大半のオジサンは安月給で孤独で嫌われ者で醜くて臭い。

過去の経済大国日本では、長年、オジサン=権力者という偏見があったせいで、そういった誤解がいまだにはびこっているようだが。今現在のオジサンたちが本当にそうなのだろうか?決してそうではない。

今でも一部裕福で強者なオジサンはいるが、現実にはその裏に透明化された弱者なオジサンがとんでもない数いることが分かるはずだ。政府の機関のデータなどで調べてみれば分かるだろう。調べて貼るのが面倒だから自分で調べてくれ。

また、裕福で強者なオジサンとは、たまたま“オジサンという弱者性”をカバーするだけの、生来のIQの高さ、何らかの才能、などがあっただけで、そしてそういった人がさらにたぐいまれなる努力と工夫を凝らして“オジサンという障害”を乗り越えた結果なのである。

つまり、オジサンという弱者性を抱えているにもかかわらず強者であるということは、レアであり、イレギュラーだということを社会は認識しておく必要がある。

そして、そういったごくごく一部の強者なオジサンのせいで“”オジサンという弱者性””が透明化されているのではなかろうか。俺はそのように思えてしかたがないのだ。

お気づきの人がいるかもしれない。ここまでの内容、「オジサン」の部分に「発達障害の人」を代入してみてほしい。おもしろいほど話が成り立つだろう。ツイッター上の発達界隈(発達障害当事者や支援者の集い)でさんざん話し合われてきた内容と同じなのだ。

しかし一つ違う部分がある。それはオジサンの弱者性はまったくもって理解されていないということだ。透明化どころか最初から存在すらしていない。オジサンという属性が弱者属性だなんて社会は考えてすらいないのだ。その証拠に発達障害の人における障害者手帳であったり障害年金がオジサンにおいては存在していないではないか。むしろそのような主張をすると馬鹿げていると鼻で笑われるだろう。実際にこれを読んでいる人も大半が鼻で笑っているであろう。

まあ半分はパロディーで書いている部分もあるんだがな。しかしもう半分は割と本気だったりする。

 

参照:ここまでの内容に関する当該tweet