引きこもりの時間が早く過ぎる理由のひとつ

ツイッターに書いても1つもいいねもらえなかったのでこっちにも書いてみる。

引きこもりになると時間が過ぎるのがやたらと早くなる。逆に遅くなるという人もいるのかもしれないが少なくとも俺はめちゃめちゃ早く感じるようになった。

その理由はいくつかあると思うのだが、そのなかのひとつが“節目のなさ”だと思う。

ある人のtweetなのだが、その人はあるイベントに行ったみたいで、まあ数年ぶりに飛行機に乗ったりその人にとってはかなり大きなイベントだったらしい。そしてそのイベントの後も、あれから「1週間経ったなあ」とか「あれから1ヵ月かあ」とか、そういった、イベントを思い返すtweetをたまにしている。

そういうの俺には全然ねーなと。引きこもりはそういうのがほぼないから時間の感覚がなくなってしまうんじゃねーのかなと。だから気付くまもなく、時間が一瞬で過ぎ去っていくのかなと。

うん、まあ大した話じゃないんだけどな。当たり前というか。だからいいねもつかないんだろうが。

しかしまあふと思ったわけよ。逆にそういった節目が時間軸のなかにたくさん点在していれば、時間が過ぎていくのをかみしめる回数も増えるので、すくなくとも、ものすごい速度で時間が過ぎ去っていることに気付くことすらできない、なんてことにはならないだろなと。引きこもりって気付くことすらできないんだよな。時間が物凄い早さで進んでいることに。気が付いたら何年も経ってた…みたいになる。

あと、そういうイベント、すなわち節目が多いってことは、それだけ時間が濃いというわけなので、薄味のものをたくさん摂取するよりも味の濃いもの、あるいはバラエティに富んだ様々な味のものを摂取した方が満腹感、あるいは満足感が得られるのと同様に、時間においても「あー味わったなあ」という満足感が得られ、時間経過の早さも寛和されるという仮説、というかまあ多分当たり前にそうだと思うんだよな。

まあ当たり前のことかもしれんがふと思ったので。

もちろん、冒頭あたりにも書いたように、時間が早く過ぎ去っていく理由は他にもいくつかあるとは思う。例えば、とくに年齢を重ねると代謝が遅くなるので相対的に時間が早く過ぎるように感じるとか、そういった説もあるらしい。うん、まあでもそれはどうしようもないことなので、時間を少しでも長く感じたいのなら、節目を多く作るのがいいのかなと。

引きこもりの俺はそれとは真逆の状態(節目がない空白の状態、ただただ間延びした状態)をずっとキープしてしまっているわけだが。