3日前の記事でも触れたが叔父の訃報があった。そして今日(1月13日)がそのお通夜で、明日が葬式だ。
当然俺は引きこもりなので行きたくはなかった。そして母親も行かなくていいと言っていた。理由は、コロナ禍なので全員が行く必要はない、従兄弟(叔父からみた姪や甥)もほとんど来ないと思う、とのこと。
しかしまあ俺としては行った方がいい気がしていた。何だかんだ従兄弟はみんな来ると思っていた。たぶん母親は俺が引きこもりだから行ってほしくないのでは、などと勘ぐったりもしていた。それでずっと悩んでいた。
葬式は無理だがせめてお通夜だけでも行こうかな、などと考えていた。葬式は火葬を待つ間に食事会などがあり親戚と喋る機会ができてしまう、しかしお通夜はほとんど喋る機会がない、という期待があり。
しかし、やはりお通夜だけだとしても行きたくない気持ちはかなりあり、やはりどちらも行かないでおこうか、などと今日お通夜の時間がくる直前まで悩んでいた。
悩む。
— つこんぽ (@ponkotuafi) January 13, 2023
行かない理由
・コロナ禍だから
・殆ど話したこともない関係
行く理由
・それでも道義的に行った方がいい気がする
まあこういった表面上の理由は嘘だな。もし引きこもりじゃなかった場合で考えるとこれらは理由としてそれほど重視しないだろうし。俺が引きこもりだから行きたくないというのが本音。
— つこんぽ (@ponkotuafi) January 13, 2023
引きこもりだから行けないというのも立派な?理由。そこに嘘を付く必要はない。ましてや自分にまで。
— つこんぽ (@ponkotuafi) January 13, 2023
まあでもあれだな、殆ど話したこともない関係というもの大きいな。子供のころに面倒見てくれたとか過去にお世話になったことがある親戚のお通夜や葬式には今後ちゃんと行けばいいのであって。差別化と言ってしまうと言い方が悪いが。
— つこんぽ (@ponkotuafi) January 13, 2023
まあでも言い訳だな。引きこもりだから行けない。やはりこれが本質。
— つこんぽ (@ponkotuafi) January 13, 2023
このように色々と葛藤のツイートなどしているが、まあ短的に言うと、親戚から奇異の目で見られるとか、もしかしたら仕事はどうかと聞かれるかもしれないとか、そういった恐怖があり、行きたくない気持ちがあった。
しかし行ったからといって死ぬわけではない!やはり行こう!などと思い、ちょっと強気になったりもしていた。
強気になったり逃げたくなったりが交互にひしめき合っていた。
あるいは、ここで行かないと、引きこもり脱出の精神的な枷になるかもしれないと考えたりもした。どういうことかというと、例えば今後アルバイトなどの応募をするとき、あのとき叔父の葬式すらいかなかったのにアルバイトの応募なんて無理だろう、などと思ってしまうような気がしたのだ。
そうこう考えている間に時間が迫ってきたので、とりあえずスーツを着てみることにした。そもそも太っているので入るスーツがないかもしれない、もし入るスーツがなければ行くのを諦めよう、などと考えながら開かずのクローゼットにスーツを探しにいった。
すると入るスーツはあった。わりと着心地も悪くない。ここ最近のダイエットの成果か。ただこれは父親のスーツだ。あのにっくっき父親の。しかしまあなぜか今日は拒否反応がそれほどでない。何となくテンションが上がってきた。たまたま先ほど書いた強気の状態だったのと、入るスーツがすんなり見つかったのと、意外と着心地が悪くなかったので、それで行く覚悟ができたのかもしれない。
結局行くことにしたのだが、お通夜の開始時間には遅れてしまった。会場は家から歩いて15分程度の場所で、父親と母親と俺の3人で向かったのだが、家を出る直前に玄関でネクタイをしていないことに気付いた。そこで急いでネクタイを取ってきたのだが、巻き方が分からない。そこで手間取ってしまった。最終的に母親が何とか巻いてくれたのだが、その時点で開始時間の10分前を過ぎていた。父親と母親には申し訳ないことをしてしまった。スーツを着用した時間はかなり早めだったので、余裕は持っていたのだが、土壇場でこのザマだ。
会場に着くと、すでにお坊さんがお経をあげていた。しかしまあ早く着きすぎると、親戚と喋る機会ができてしまうので、これでよかったのかもしれない。
しかしあれだな、ちょっと座っているだけで疲れてしまう。というかじっとしてるのがとてつもなくシンドイ。ケツの調子が悪いというのもある。座って1分と経たない間に右臀部に違和感が走り、体制を何度も変える必要が出てくる。やはり何かの病気なのだろうかと心配になってくる。こんな感じで30分ほどお経とお焼香の時間を過ごした。
お経とお焼香が終わると、最後に棺越しの叔父の顔を見に行き、これでお通夜は終了、かと思いきや、この後は通夜振る舞いとなりますので皆さんゆっくりお喋りしてください、といったアナウンスが入った。マジか!一番恐れていたお喋りタイム、絶対に無理だ、ということで俺はその場で帰ることにした。とっさの判断だった。
父親と母親と会場スタッフに食事はせずに自分だけ帰ることを伝えて、一人会場を後にした。
ただ、会場を後にする前、親戚が集まっている場所を通過したのだが、そのときに伯母(つまり今回亡くなった叔父の妻)が俺に「来てくれてありがとうねえ」と言ったのだ。もう10年ぐらい顔も見ていないし、話した記憶もほとんどない叔母が。俺はヘラヘラと会釈をしてその場を後にした。なんとなく、来てよかったかな、という気持ちになった。
しかし帰り道、どうせ途中で抜け出すぐらいなら最初から行かない方がよかったかもなあ、という気持ちも湧いてきた。逆にいやらしかったんじゃないだろうかと。非常識で失礼なことをしたのではないだろうかと。しかし今回従兄弟などはほとんど参加しておらず(母親の言っていたことは正しかった)、引きこもりにもかかわらず途中で帰ったとはいえ参加した俺は義理堅く優しいことをした、ともいえるかもしれない。そういった複雑な感情を抱えながら帰路を一人歩いていた。
しかしまあ、自己満足でいいか、という結論を無理やり付けたりした。
ところで、出発から帰宅まで約1時間足らずだったのだが。めちゃめちゃ疲れたな。精神的な疲れはともかくとして、自分の体力のなさを実感したな。そしてやはり右臀部の件など病院に行った方がいい気がしてきたな。
体力がなさ過ぎる。やはり働く前に病院に行った方がいい気がしてきた。
— つこんぽ (@ponkotuafi) January 13, 2023
『何か怖い病気が見つかった場合、今の自分には受け止めることができない』というのが病院に行けない一番の理由だったりする。
— つこんぽ (@ponkotuafi) January 13, 2023