気分や体調や環境はどこまで整えればいい

ちょっと忍耐力や勇気が必要なことは全然やれない。

そういったことは、気分や体調や環境がすべて完璧じゃないとやれない。

俺は無能な完璧主義者だからだろうか。

しかし全然やれないとやはり困る。どうすればいいのか?

ひとつは、裏を返せば気分や体調や環境が万全に整っていればやれる、というわけなので、まず整えることに徹する。

あるいは、気分や体調や環境が整ってなくてもやる、という手もある。

まあでも、一番現実的というか、おそらく一番正しいであろうことは、この二つのミックスだろうな。気分や体調や環境を整えつつ、整っていなくてもやる。さすがに全く整ってないと物理的にできなかったりもするので、気分や体調や環境が程よく整ったところでやってしまう、そしてそれと同時並行で気分や体調や環境を整えるという作業も怠らず少しずつでも改善していく、といったところだろう。

しかし、この程よくというのが難しかったりもするのだがな。程よくって何だよっていう。

当たり前の話だが、気分や体調や環境が整っていないとやった先にある成功率は下がる。そして整っているほど成功率は上がるわけだ。

しかしあれだ、意外とやってしまえば“それほど整えなくてもよかったなぁ”となる場合が結構ある気がする。“そこまで万全に用意しなくても結果は同じだったなぁ”と。あるいは、“むしろ用意しない方が良い結果が得られたかもしれないなぁ”なんてこともあったりする。俺の場合。

もちろん、その逆もあるのだが。

ほんと、程よくってのは難しいな。

判断材料としては、それほど重大でないことは整っていなくてもやる傾向にした方がいいし、逆に重大なこと、例えば命に関わることは、できるかぎり整えてからの方がいい気はする。しかしまあ、命に関わるほど重大なことほど、イレギュラーでそもそも制限時間などがあったりして用意もクソもなく対応せざる得なかったりもするのだが…

まあしかしとりあえず、理屈的には、重大でないことは整えずにやった方が良くて、重大なことは整えてからやった方が良い、となるわけだ。

ただし、重大なことは今の世の中それほどないのかもしれない。

つまり、整えようとし過ぎる傾向がある気がするな。俺は。

 

まあしかし、俺はバカだから、真逆のバカげたこともしてしまいがちだったりするんだよな。重大なことほど整えずにやってしまう、という。

 

つまり、それほど重大でないことなのに延々と整えようとし続ける、あるいは整うまでやれない。そして逆に、重大ことは整えぬままやる。

というバカげたチグハグ具合。

これを矯正したいんだよな。まあ意識していくしかないか(根性論)。

まあしかしあれだな、このチグハグさは、俺だけでなく無能な人間には割とありがちなことなのかもしれないな。そんな気がする。