非対称なコミュニケーションをする者同士で惹かれあうという悲劇

ここ最近はマシになったのだが、というか俺がキレるようになってから俺に対してはあまりしてこなくなったのだが、父親は人のものを勝手に捨てる。普段からよく使っている物であっても明らかに必要そうな物であっても人の物は平気で捨てる。

しかし、逆に自分の物に関してはちょっとさわられるだけでキレる。それで家のあらゆるスペースが彼の物で埋められていく。はっきり言ってそれらは客観的に見て明らかに不要なものばかりだ。例えば、勝手口には使わなくなった大量の箱や容器やスプレー缶が大量に置かれていたりする。彼が集めた物だ。それによって勝手口は使えない状態になってしまった。

また、これも俺に対してはあまりしてこなくなったのだが、彼は言動も酷い。今朝も母親に『アホ』だの『脳足りん』だの汚い言葉を直接浴びせていた。

しかし、逆に自分が何かマイナスな言葉を言われそうになると物凄く怒る。例えば、彼は風呂やシャワーを何週間も浴びない。冬だと何ヵ月もだ。なので臭う。そこで母親が、もうそろそろ入ってほしいと諭そうとする。すると『臭いっていうな!』とキレ始める。『そういうのは絶対に言ってはいけない言葉だぞ!』とか言い出す。どの口が言ってんだよと思う。

 

まあ要するに、非対称なのである。

反転して、自分と相手を入れ替えて考えると、自分がどういうことをしているのか、不公平なことをやっていないか、気付くことができないのだ。まあ人間というものは自分のことが分からなかったりするものだから、これは誰にでも多少はある性質なのだろうが、異常なまでにそれが酷いのだ。父親は。

 

しかし母親も酷い。逆の意味で。

いや、非対称という意味では同じなのだが、それによって起こる現象が逆になっている。どういうことかというと、明らかに理不尽な仕打ちをされているのにそれに気付けないのだ。まあ、言い方を良くすればお人好しということだが、悪くすると不公平さに気付く頭がないともいえる。

気が弱いから分かっていても理不尽なことを受け入れていしまうのでは、と思うかもしれない。たしかにそれも多少はあるだろう。俺もそのように思っていた時期がある。しかしよく見ていると、多くの場合がそもそも気付いていないだけ、だったりするのだ。

例を挙げるのは中々難しいのだが、例えば、父親に物を勝手に捨てられたときなど母親は悲しむのだが、その際に父親から「お前のものでスペースが埋められている!お前は物が捨てれない!」などと説教されると、なんとそれを真に受けているのだ。側から見ていると、いやいやいやいや捨てれずにスペース梅店のは父親の方だろ!と分かるのだが。母親は気付けていない様子なのだ。

 

まあ父親も母親も、非対称な状態が起きたとき、自覚していないことが殆どだと思われる。もちろん、たまには自覚していることもあるだろうが。

 

こういった非対称が起こるのは、俯瞰して多くのことを同時にバランスよく考えることができない、ということかもしれない。自分、または相手がある事をやっている間、その理由やそれによって起こる事など、それ自体の直接的な事象だけにとらわれてしまっていて、その間はそれに直接的に付随しない物事を認知できていないので、不公平だとか理不尽だとかを正確に把握することができていない、それどころか全く気付けていないという。

まあ、物事を考えたり行動したり感じたりする際に、脳のメモリの一部分を“相手や自分にとって不公平かどうか”という観点に使う習慣がない、あるいはそもそもそのメモリが足りていない、ということなのだろう。

 

ちなみに、父親のようなタイプの非対称さは、人から嫌われる。そして孤立しがちだ。たとえ孤立しなかったとしても常に相手を迫害し続けることになり、まあ存在自体が害悪となりがち。

そして母親のようなタイプの非対称さは、人から利用されやすい。都合のいいように利用され、迫害される側になりがち。

そして面白いのが(いや、面白くはねーが)、この2つのタイプはカップリングしがちという点。そりゃそうさ、無自覚に相手に理不尽を強いてしまうタイプと自分が理不尽な仕打ちを受けていることに気付けないタイプなんだから、相性は抜群というわけだ。まあ悪い意味でな。

ちなみにタイトルには「非対称なコミュニケーションをする者同士で惹かれあうという悲劇」と書いたのだが、“惹かれあう”じゃあくて“引かれ合う”だな。いや、“理不尽を強いる側が理不尽を強いられる側を引き込む”だな。

 

まあなんか救いのない記事になっちまったが、あれだ、こういったタイプに自分がならないようにする努力と、相手が父親のようなタイプならなるべく関わらないようにする努力をすべき、ということかな。

まあはっきり言って、俺も気付いてないだけで無自覚な非対称さを多分に持っている気はする。そりゃ2人の非対称さを持った人間から生まれた子なのだから。

 

 

 

ただ、ここまで書いて1つ思ったことがある。

訂正ではないのだが、先ほど書いた以下の二節についてだ。

 

>>反転して、自分と相手を入れ替えて考えると、自分がどういうことをしているのか、不公平なことをやっていないか、気付くことができないのだ。

>>まあ父親も母親も、非対称な状態が起きたとき、自覚していないことが殆どだと思われる。

 

あれだな、気付いてるかもしれないな。不公平だということについては。とくに父親の場合。

共感性や思いやりの欠如なのかしらんが、気付いていてやっているかもしれない。

それによってもたらされる不具合(相手から恨まれる、相手がストレスで倒れる、自分が孤立するなど)が後々起こるかもしれないということに気付けていないだけであって。