ツイッターには書いたのだが、昨日父親と一悶着あった。そして今日もまたあった。こういうのは続くな。感情が一旦そのベクトルに向くとしばらく続くのだろうな。
今日は酒の件だった。朝家で飲んで、外でも飲んできて、昼になると家でビール缶大を飲んで、今度は棚にあるワインを探り出した。その際に棚の中のものをぐちゃぐちゃにしていたので、思わず注意してしまった。
すると父親が逆ギレしそうになったので、そもそも酒を飲みすぎだという話になった。今となっては彼は俺にビビっているので、逆ギレに対して逆ギレすると黙る。しかしもちろん、俺の話は彼の耳の右から左に流れていっている模様だが。
まあ、このような悶着があるたび俺は後悔する。もちろん疲弊もするが、それよりも後悔の正体は罪悪感のような複雑な感情による部分が大きそうだ。たとえ自分が正しかったとしても力で相手を押さえつけてしまったという不快感が残るのだ。まあ自己正当化しておくと、今日はこれ以上飲むと彼は泥酔して以前のように大変なことになる危険性を感じたから。彼はあればあるだけ飲むので、ワインまで手が出たのはまずいなと思って。
しかしまあ、あれだ、彼とコミュニケーションを取るのがつらい…これは昔からだ。というかマトモに取るのはほぼ不可能といってもいい。
その根底にあるのは、彼の中にある人と関わる上での基準のようなものが俺とは違うからなのだろうなと思ったりする。
これも昨日ツイッターに書いたのだが、彼は弱肉強食主義なんだろうなと。まあ主義といっても単に本能的かつ無意識的にそのようになってしまっているだけだろうが。
普通人間は、人間的な基準というものがあると思うんだよな。まあ思いやり、誠実さ、信頼、とかそういう類の、あるいは個々がもつ理屈、まあ一言で説明するのは難しいのだが、社会性とも少し違うような、だからまあ“人間的な基準”とここでは書いておく。
あれだ、例えば、普通は相手にも好み、感情、考え、拘り、事情、というものがあってそれを汲んで、もちろん自分にもそれはあるが、話し合ってお互いができるだけ納得するような落としどころを決める。また、理屈に沿って考えれば明らかに自分に理があると考えるのなら、それを意見として相手に伝え、相手の意見も聞き、話し合い、すり合わせる、あるいは相手の理の方が正しいのなら折れる。
まあ、自分だけでなく相手にも相手の立場、考え、損得があるという前提をもつ、あるいは理屈ベースで考える、話し合う、そのようにして自他ともに不公平や理不尽はできるだけなくしたい、という感情、といってもいいかもしれない。
しかし父親にはそういうものが一切ない。相手が自分より強いか弱いか、すなわち従わせることができるかできないか、という基準となっているようだ。これまで俺が物心ついたときから三十数年の彼との関わりを思い返すと、そのようになってくる。これは決してここ最近、彼が認知症、アル中、などによってそうなったわけではない。昔から彼の根底にはそれがあるようなのだ。
自分より相手が弱いと徹底的に一方的に自己の要求だけを通し続ける。どんなに理不尽なことでも、それが相手にとって損なことだとしても、害のあることだとしても。彼の場合、発達特有なのか、おかしな拘りや強迫観念のようなものも多々あるようで、それに従わされ続けるのも本当にダルかった。
ちなみに自分より弱いといっても単に肉体的な話ではない。簡単に欺くことができる、心理的なゆさぶりによりコントロールできる、なども自分より弱いということになる。だから彼は息を吐くように嘘をつくし、急にちゃぶ台をひっくり返すようなことを言いだしたり、訴えを露骨に無視をしたり、頭のおかしいフリをしたり、相手を混乱させるようなしぐさ、あるいは表情、睨みつけるなど、昔なら暴力、暴力をチラつかせた威圧、怒号(これは母親には今も頻繁にやっているが)、といったある種のゴリ押し的な方法で、あるいは表面だけの(詐欺の)テクニック的な方法でのみ、コミュニケーションを取ろうとするのだ。
だから、こちらが正面から人間的な基準でコミュニケーションを取ろうとすると、やり込められてしまう。母親は彼とは違って人間的な基準を中心にものを考える人間なので、いつもやり込められてきたわけだ。俺もそのように(人間的な基準を主として生きるよう)育てられたので、当然やり込められ続けたわけだ。
しかし最近になって、力で対抗するようになった。そうすると俺の方が強いということが発覚した。彼もそれを思い知るようになってきたので、まあ前半に書いたように彼は俺にビビっているというわけだ。俺には勝てないなと。そうすると今度は、一悶着あったとき結果的に一切自分の主張をしなくなる。つまりその気になれば俺の意見をすべて通して何でも従わせることも可能だろう。そりゃそうだ、極論、例えば彼は何週間も何ヵ月も風呂に入らないわけだが、とはいえ、俺がムリヤリ掴んで風呂にぶち込めば完了できる。あるいは恫喝的な態度で恐怖を煽り入りざる得ないようにする。
しかし、嫌なんだよな。そのようなことをするのは。
そのようなことをすると疲弊してしまう。
結局のところ、こういう相手と関わるというのは、常に争いやマウントが絶えず、一方的な我慢あるいは一方的に我慢させるばかりになるわけだ。いずれにしても酷く疲弊してしまう。関わるだけでだ。
だから、言ってはいけないことなんだろうが、最近、俺は母親に言ってしまう。「なんで離婚しとかなかったんだ」と。