無駄にネガティブに考えて疲弊したり無駄にポジティブに考えて疲弊したりする

具体的にこういう恐ろしいことが起こるかもしれない、というか多分起こる、と思っているとその恐ろしいことは起こらない。だいたい恐ろしいことは忘れたころに起こる。血の気も引くような恐ろしいことは。

だから、起きてほしくない具体的な恐ろしいことを、今にも起こる、と常に頭の中に巡らせておく。そうすることで恐ろしいことは起こらないと、内心では安心していたりする。表面上では、もうおしまいだ…ぐらいに考えているのだが、内心では密かにその逆を期待しているのだ。一人で、心のなかでそんな無駄なことをいつもしている。

ちなみに、なぜ思っていると起こらないのかというと、人間の想像力だとか予想だとかは大概外れるから。思っている具体的な恐ろしいことがちょうど思っているそのタイミングで起こるなんてことは可能性としてとても低い、というだけのことだと思われる。

でも俺はこの独りよがりのバカバカしい無駄なことを脳内でいつもやっている節がある。

 

また、具体的にこういう嬉しいことが起こらないかなあみたいなことを思っている間は、その嬉しいことは起こらない。

これもまあ、人間の想像力だとか予想だとかは大概(ry、というだけのことだと思われる。

ただし、これに関しては理屈からいうと、思わない方がいい、となるはずだ。なぜなら思っている間は起こらないわけなので、思わないようにした方が嬉しいことは起こる、ということなので。

しかしこの場合、俺はずっと思ってしまう。期待してしてしまう。そして落胆する。そして疲れてしまう。

 

矛盾しているというかなんというか。

恐ろしいことが起こると考えている間は恐ろしいことは起こらないので、恐ろしことを起こさせないように、恐ろしいことが今にも起きるのでは、と常に考え続けている。

であれば、嬉しいことが起こると考えている間は嬉しいことは起こらないので、嬉しいことを起こさせるために、嬉しいことが今にも起きるだなんて期待しない、となるはずだろう。しかしそうはならないという。今にも嬉しいことが起きてほしい、起きるのでは、と思ってしまっているという。

 

ちなみに、なんでこんなことになってしまうのかというと、よく分からない。必死に考えれば分かるのかもしれないが、今日はもう考える気が起きない。これを書いている今、もう朝の5時だし。

でもまあ、少なくともいえることは、俺の頭がバカだからこんな非合理的なことを脳内でやってしまっているんだろうな、ということは言えるだろう。あとは、臆病な気質であったり、行動よりも思考が先行し過ぎている状態であったりも、関係している気がする。

まあ、これらをここから具体的にどうこう説明するのは骨が折れるので止めておく、というはなし。

 

でも最後にせっかくなので、では何が正しいのか?は書いておこうと思う。こーいうのは頭では理解できていたりするんだよな。

まず、恐ろしいことが起こるかもしれないと思い具体的にそれに備えるための行動はしておく。しかし、あとは恐ろしいことが今にも起こるだとかは考えない。まあ、もう習慣になっちまってて俺は無意識レベルで考えてしまうのだが、正しいのは、考えない、だ。なぜなら、考えようが考えまいが起こる確率は変わらないから。であれば、考えない方が精神的な疲労は軽減できるので、その方がいいだろう。

そして、嬉しいことについても、だいたい同じだ。嬉しいことを起こすための具体的な行動はしつつ、嬉しいことが今にも起こるだなんて期待はしない。常に期待していようがいまいが起こる確率は変わらないから。それどころか思っている間は、基本起こらないので、しょっちゅう落胆して精神的な疲労が溜まってしまうはめになる。基本忘れたころに起こるのならずっと忘れている方がいい。

まあ、これは言ってしまえば、思考先行ではなく行動先行にする、ということだな。

しかしまあ、それができれば苦労しないみたいなところもあって、なかなか難しかったりもするわけだが。

 

 

これ、あまりまとまっていないのに書いたもんだから、昨日に引き続き(てか昨日以上に)またとりとめのない文章になってしまった。またもしいつかちゃんとまとまったらもっと分かりやすく書こう。

という言い訳。