「今日は負荷が30のタスクをやろう」って考えてても、資源(メンタル、体力、環境)が20しかなくて、いつまで経ってもできないまま時間だけが過ぎていき、結局何もしないまま一日が終わってしまった、みたいなことあるよな?
今日はそんな一日だった。
いや、基本毎日がそんな感じだ。
もっというと俺の人生がそんな感じなのかもしれん。
ずっとこんなこと繰り返してる間にほんとに人生が終わっちまうんだよな。てかもうすでに色々と詰みそうなんだよな。
目標を負荷量の小さいタスクに切り替えるか、資源量を増やすか、しかないんだよな。
でもむずかしいよな。俺は何度も何度も、自分の資源量に合わないタスクをやろうとして、できなくて、自己嫌悪になる毎日だわ。
見誤っちまうんだよな。自分の資源量を。あるいはタスクの負荷量を甘く見てしまう。無能なくせに見くびってしまう。
しかも学ばない。昨日は無理だったから、今日は昨日のタスクはもう諦めるかとか、タスクの負荷を小さくするかとか、まずは資源量を増やそうかとか、にはならない。バカだから。また同じ資源量で同じ負荷量のことをやろうとして撃沈する。
てか、できなかったのなら少なくとも何かを変えなきゃできるようになるわけないよな。そりゃ。奇跡でも起きないかぎり。
ちなみに、先ほど書いた“負荷量の小さいタスクに切り替える”についてなんだが、これは、同種のタスクの数量を小さくしてもいいし、全く別のタスクに変更してもいい。
前者であれば、例えば、部屋全体を整理するというタスクから、部屋の一区分だけを整理するとか、あるいはとりあえず散らばっている紙書類だけを集めるとか、に切り替える。つまり、分量を減らしたり細分化したりする。
そして後者であれば、市役所に行く、とか全く別のタスクに切り替える。もう部屋の整理というタスクは一旦諦める。
また、“資源量を増やす”については、メンタルや体力を回復させる、整える、増強する、あるいは、環境を改善する、ということだ。
メンタルや体力については、例えば、散歩をするとか、食生活を改善するとか、そういった単純なことでいい。環境については、タスクに取り掛かりやすい状況を自分で作るということだ。例えば、先ほどの部屋の整理というタスクであれば、スマホを見てしまって進まないのなら、電源を切ってすぐに使えない場所に仕舞うなど。
まあ、ある種これらも小さなタスクではあるんだがな。散歩も、環境を変える工夫も。つまり負荷量が大きすぎて遂行できなかったタスクを一旦諦めて、資源量を増やすためのタスクに切り替えている、ともいえるな。
ああ、また引きこもりニートの机上のライフハックを書いてしまったな。言葉は、言葉の内容よりも誰が発した言葉なのか、の方が重要だ。つまり俺のような引きニートの書いたライフハックに価値はない。
しかしまあ、あれだ、俺は一応これを自分の為に書いて自分に活かしたいと思っている。
つまり、もしも俺が引きこもりを脱出できたら、あるいはもしも人生が今よりうまく回りだしたら、少なからずこれが役に立った可能性もある、ということになる。なのでそのときは、これを見ている引きこもりやニートの人にも参考になるかもしれない。
もちろん、逆に結局俺は引きこもりを脱出できないかもしれない。そのときは、ああやはり引きニートの役に立たない戯言だったな、と斬り捨てて、反面教師にしてもらえればと思う。