見落とされがちな孤独の意外なデメリット

『一人じゃ何もできないのかよ』って台詞は昔からよく見かけるが、そもそも殆どの人間ってのは一人じゃ何もできないものなんだよ。引きこもり生活ももう6年目に突入しようとしているのだが、つくづくそう思うようになった。

いや、自分のことは自分でしようとか、人に流されるだけではなく自分から動こうとか、そいうのは一面では大切だとは思う。しかし、それはある種の傲りになりかねないというか、殆どの人間ってのは一人では何もできないものだから、自分は一人では何もできないものだという体で生きた方がいい、と思うようになった。そこを見誤ると痛い目にあう。俺のように。

色々な人に支えられて生きているとか、支え合って生きていくとか、そういう大それた意味じゃない。もっとミクロ的な視点というか、引きこもりになって感じたことなのだが、一人ぼっちだと人生における諸々の小さな行動すらもことごとくできなくなるんだよ。ちなみに諸々の小さな行動ってのは人生における大きな結果に結びついたりする。

これは別の機会でまたちゃんと詳しく書こうと思うのだが、引きこもり脱出に付与する(あるいはその可能性がある)行動ってのがいくつかある。例えば、簡単そうなアルバイトからやってみる、福祉に繋げるため精神科を受診する等。もっと簡単な前段階的なところだと、ファションなど見た目をマトモにする、趣味や気晴らしで外出してみる等。悪い方向だと、犯罪者になる、自殺する等。

ざっと挙げたが、これらの行動ってのは一人でやるのは意外なほど難しいのだ。人との関わりの中でなし崩し的に行動に移すことになりがちというか、一人で引きこもっていると考えたり想像したりまではできるが行動にまでは移せなかったりする。

例えば、福祉に繋げるため精神科を受診する、でいうと。まず友人や職場の人と発達障害の話題が出る。「お前もそのけがあるんじゃね?」とか「実は俺そうかもしれないわ」とか「近場だと○○クリニックがあるけど評判悪いらしいよ」とか何らかのコミュニケーションが繰り広げられる。そうこうしている内に「俺ちょっと病院行ってみるわ」となったりする。あるいは「俺、実は病院行ってきた」とか友人から聞いて自分も行こうとなったりすることがあったり。

他には、赤信号みんなで渡れば怖くないじゃないけど、誘い合ったり一緒にやることで心理的なハードルが下がって行動に移せることもあったりする。

このように、あーでもないこーでもないとコミュニケーションを取っている間に行動に付与する情報が集まったり、モチベーションが沸いて来たりして、それですんなり行動に移せたりする。あるいは誘い合うことで行動に移せたりする。

殆どの人間が、人との関わりの中から知らず知らずの内に背中を押されて行動しているのだ。

しかし引きこもりだとこのようシチュエーションが一切ない。

引きこもり状態が続くことでメンタルの状態が悪くなり臆病さや無気力さが酷くなっていくことで行動力がなくなるというのもあるだろうが、人との関わりから生まれる行動の糸口がないというのも、引きこもりが引きこもりから状態から脱するための行動ができずに延々と引きこもり続けてしまう大きな原因の一つなんだと思う。凝り固まっちまうというか。ほぐれる機会がないというか。

『友人など人とのつながりは大切にしましょう』とは昔からよく言われるが、それは困ったとき助け合うとか、悩みを相談するとか、そういう意味も勿論あるんだろうが、行動の糸口ができるって意味も大きいんだろな。

引きこもりになってはじめて気づいたわ。バカだから。

あるいはここら辺のバカさというか、傲慢さが、俺が引きこもりになってしまった一因だったりしてな。