怒られやすい人は出世するどころかニートや引きこもりになる

俺は怒られやすいタイプだったと思う。そして今、引きこもりだ。

Googleで【怒られやすい】と検索すると【怒られやすい人 出世する】などと出てくる。まあ確かにその可能性もあるとは思う。

しかし、逆に俺のように落ちぶれるパターンもあるよという話をこれから書く。

怒られにくいか怒られやすいかを決める3つの要素

世の中には怒られにくい人間と怒られやすい人間がいる。

ちなみに、怒られにくいか怒られやすいかは三つの要素で決まると思われる。

一つは単に能力が高いか低いかである。まあ能力といっても色んなものがあるが、ここでいう能力の高さ低さとは、何をやらしても器用にこなしてまうタイプとそうでないタイプといったところだ。物覚えの良さ悪さ、要領の良さ悪さ、ともいえる。

二つ目は立ち回りの巧さである。自分だけ“ええカッコ”をするのが上手かったり、しれっと他者を蹴落とせる強さであったり、あるいはそれらとはベクトルは真逆だが、人と仲良くなるスキルであったり、好かれるスキルであったり、まあ一言でいうとコミュニケーションスキルだ。

そして三つ目は舐められにくいかどうか。まあこれもコミュニケーションスキルの一部なのかもしれないが、場合によってはこいつは逆ギレするタイプだとか、こいつは怒らすと怖そうだとか、相手に恐怖や威厳を感じさせられるタイプだ。ヤンキー気質であったり、あるいは考え方にしっかりと筋が通っており不当なことにはちゃんと怒れる気概であったり。

俺が過去に怒られまくった経験

ここからが本題(とはいえ前項を読まないと完全には理解できない)。

話しを冒頭に戻すと、俺はよく怒られた。

ただし、怒られるという現象にも二種類あって、本当に悪いことをして怒られるというケースとそうでないケースがある。悪意を持って悪戯をしたとか、反抗的であったりとか、そういう場合は怒られて当たり前だが(それでも怒られないような“怒られにくい人間”もいるが)、悪意も反抗心もないのに怒られやすい人間であるがゆえに怒られてしまうというケースがあるのだ。

俺の場合、小学生ぐらいまでは基本前者のみだったと記憶しているのだが、中学生ぐらいから後者へと移行していった。おそらく高校生以降は後者で怒られることが殆どとなった。

高校生のときの印象的だったエピソードとしては、他の多くの生徒達の前で若い体育教師から20発ほどビンタ連打を食らったこと。2,3発食らっては後ずさりし、2,3発食らっては後ずさりし、を繰り返して俺は10メートル以上は後ずさりをしていた。恐怖もあったが、それ以上に呆気に取られてしまったというのと、殴られている内に徐々に我に返っていき大勢の前でそれをされていることが非常に恥ずかしくなってしまい、まあツラかった。

体育教師にはそれ以外にも何度か蹴られたりビンタされたりしていたし、もちろん口頭でもよく怒られたし、体育教師以外にもよく怒られていた。

ちなみに原因は、プリントを失くしてしまったとか、遅刻してしまったとか、そーいうウッカリ系の失敗に対してだった。もちろん、それらについて決して俺に悪意はない。俺はいたって真面目な性格だし、ウッカリ系の失敗ばかりしてしまう自分に常に自己嫌悪していたし、悩んでいた。

しかしまあ、真面目(真面目なつもりも含め)なバカほどタチの悪いものはないという気もするな。前項に書いた一つ目の要素である俺の能力の低さに教師方も目に余っていたというところもあるだろう。不器用で物覚えが悪く、勉強もできず、大抵の人が当たり前にできることすらウッカリ系の失敗ばかりしていたわけなので。

ただ、それだけではないだろうな。二つ目の要素であるコミュニケーションスキルであったり、三つ目の要素である舐められやすさも、俺はコンプリートしてしまっていたがゆえに、怒られまくっていたのだと思われる。まあ、そもそも不器用で物覚えが悪くウッカリ屋の人間は、コミュ力も舐められにくさも持ちわせてない場合が多いだろうが。

ちなみに、俺以外にもウッカリ系の失敗をけっこうしていた不良の生徒がいたんだが、やはりヤンキー気質だからか俺ほどは怒られてなかった。少なくとも遅刻で何十発もビンタされて見せしめにされるなんてことはなかっただろう。

なんか高校時代の話だけで、十分な気がしてきたが、まあ大学のときのバイトもやたらと怒られてた。社員に胸ぐらをつかまれてバックヤードに連れていかれて「次できなかったらクビだからな」と言われたり、なぜか俺だけ呼び捨てで呼ばれてたり、同じ時期に入った他のバイトは「君」付けや「さん」付けなのに。まあしょっちゅう怒られてたな。物覚えが悪い俺が悪いんだが、コミュ障&舐められやすいってのも大きかったはず。

怒られ続けてると怒られてない状態も辛くなる

ただ、そんな俺もたまに怒られないときがあった。

例えば、社会人になったときのデスク二つ離れた席に座っていた先輩社員(先輩A)の話。その先輩Aは俺とは別の新入社員にはかなり怒っていた。なぜなら先輩Aはその新入社員のパートナー兼教育係だったから。

ちなみに俺のパートナー兼教育係は向かいのデスクに座っている別の先輩社員(先輩B)だった。俺はその先輩Bにはよく怒られていた。

しかし俺は、先輩Aとも部署は同じだったので、たまに業務上関わることがあった。そのときに気付いたことがあって、先輩Bといる時と同じぐらい緊張している自分がいたのだ。「先輩Aは俺のことをそこまでポンコツだとは思っていない…先輩Aには怒られたくない…」といった感じだろうか。もちろんしょっちゅう怒ってくる先輩Bといてもかなり緊張はする。

つまり、よく怒ってくる相手であろうと怒ってこない相手であろうとどちらにしても緊張してしまうのだ。

先輩Aにまでそこまで緊張してしまうのは、単純に仕事において自分に自信が無かったというのと、怒られること自体への恐怖と、今まで怒ってこなかった人から怒られることへの恐怖、からくるものだろうな。まあ、自分が怒られやすい人間だと自分でも分かってしまってるんだよな。あとは、過去に怒られまくってきたことによるトラウマというか、自己肯定感の低さというか、それらによって怒られてしまうことへの強い抵抗があるというのも、緊張感を加速していた気がしている。

怒られないことによる不快感については、もう一つエピソードがある。

これは俺が引きこもりになる直前まで働いていた日雇い派遣先での出来事とそこで感じていたことだ。その日雇い先は、当時の数少ない友人(今は連絡取ってない)の紹介で働くことになった。

俺は自分の物覚えの悪さ、要領の悪さ、遅刻癖などのウッカリ系の失敗のしやすさを、自分でも分かっていたので、それらによって絶対に迷惑をかけないようにしなきゃと凄まじい緊張感で仕事に励んだ。たかだか月数回ていどの日雇いなんだけどな。

遅刻しないように現地にはすくなくとも1時間以上早く到着しておくとか、家に帰ってもその仕事に関する情報収集をして一人でできる範囲で練習をしたりとか。まあ一日働いただけで心身ともに疲れて何日も寝込むぐらいは毎回緊張していた。

それでようやく“ちょっと抜けてるところはあるけど真面目だしちゃんとしてる人”ぐらいの評価だったと思われる。まあたまに怒られることはあったけど、自分よりも怒られてる人も何人かいたし、その職場では俺は生れてはじめて“どちらかというと怒られにくい人間”として立ち回れていた。

しかし今考えると、それが逆に仇になった部分もあると思えてくる。

このレベルの緊張感で毎回毎回気疲れするぐらいなら、怒られキャラの方がマシなんじゃなかろうか?と。つまり怒られやすい人間として立ち回っている方がまだ楽なんじゃなかろうかと、ふと思ったのだ。

まあしかし、実際今まで怒られキャラとしてやってきた記憶を辿ると、トントンか、怒られキャラの方がやっぱ辛いかな…とも思う。とくに高校時代とバイトのときとか。

ここまでをまとめると。ようするに怒られやすい人として怒られまくるのも、無理して怒られにくい人になろうとして極めてギリギリの状態でなんとか怒られずに済んでいる状態でいるのも、どっちもかなり辛いということ。

結局、今引きこもりになっている

で、結局俺はどうなったのかというと、全てを投げ出して今引きこもりになっている。もう6年間も社会との関係を断ち切ってしまっている。ニートではなく引きこもりである。出世どころではない。

もし、怒られまくろうが、それをバネにして分析して、自分を改善するためにひたすら努力して、それを何年も継続して、実際に改善できて、そして次の新しい仕事においてもまた同じように『怒られる→努力→継続→改善』とやっていける胆力がある、これを人生レベルでずっと継続できるのなら、出世もできるし、立派な人間になれるだろう。それを大器晩成というのかもしれない。

しかし俺のように落ちこぼれてしまう人間もかなりの数いると思うのだ。

これについては生存バイアスがあって、前者の怒られて出世して立派になった人間だけが「俺も昔はポンコツで不器用で人よりも怒られまくってたけど、そのおかげで今は立派になれた」みたいな顔をして堂々と闊歩していて、そうではない、逆に打ち負けてしまいニートや引きこもりのように社会からはじかれるレベルまで落ちぶれてしまった人間は暗数になっているのでは、と思うのだ。

とはいえ諦めるのも嫌だ(&まとめ)

とはいえ、俺はまだ諦めてはいないがな。

このままずっと引きこもりでいるのは嫌だ。社会復帰したい。

そのためにはやはり、怒られまくるor怒られキャラのくせに怒られないように無理をしまくる、のどちらかを選ばないといけないのかもしれない。不器用で無能な人間が社会に出るというのはそういうことなのかもしれない。

そう考えると気が滅入ってくる。

しかし、このまま引きこもりでい続けて、自殺してしまったり、親を殺したり、他人を殺したり、してしまうよりはマシだと思える脳味噌はまだ残っているつもりだから。fだから俺はTwitterのプロフィールにだって「なんとかしたい」といまだに記しているし、完全に諦めてはいない。

と言いつつ、やっぱり無理なんじゃなかろうか、という不安や自信の無さも大いにもある。現に今も、口だけで、こうやって書いてるだけで、俺はいまだに行動を起こせていないので。

あーなんか本題がからまたズレてきたな。まあ要するに、怒られやすい人は出世するとはかぎらんよと、むしろ不貞腐れてひねくれたり、病んで精神障害者になったり、ニート、引きこもりといった底辺にまで転落してしまったりする人も、それなりの数いると思うんだよな。