父親に対する許容の心

いま時間は4時27分。なぜか父親が台所に居る。寝れないのか3時ごろからずっと居座ってやがる。これを書き終えてから飯を食いに行きたいのだが行けねーじゃねーか。イラつきそうだ…

 

まあとりあえず書くか。

今日は書きたいことが2つある。

 

まず1つ目。

今日、天棚に大きな貝殻の置物が置かれていた。母に聞くと知らないとのことなので、父親が置いたのだろう。

まあ別に天棚なので特別邪魔になるってわけではないのだが、俺はイライラしてしまった。

なんというか、不吉な感じがしてしまうのだ。これがあるせいで何か不幸なことが起きてしまうんじゃなかろうかと。あと、単純に見栄え的にも好きではない。彼は絶望的にセンスがない。

なんで急にデカい貝殻なんて起きやがったんだ!と思っていた。

何とかどかせれないだろうかとも考えたのだが、どうも難しそうだ。勝手にどかすとバレるだろうし、交渉してどかすのも穏便にはいかなそうだ。

結局、色々と気を紛らわそうとしたり、考え方を変えて自分のなかで折り合いを付けようとしたり、あるいは考えないようにしようとしたり、した。

しかしやはりどうしてもモヤモヤする。

そんなとき、あることがきっかけで、それほど気にならなくなることができた。

それは父親がトイレに降りてきたときのことだ。

ちょうどそのとき俺がトイレに入っていてウンコをしていた。すると父親はなんと風呂場に行ったのだ。これは意外だった。

以前「トイレ問題(この1)」という記事を書いた。読むのがメンドウな人のために説明すると、要するに、父親は俺とトイレが被ったときに庭でションベンをするのだ。俺はそれが凄く嫌だという話。

そこで俺は以前「せめて風呂場でしてほしい」と言ったことがあるのだ。これを言うのは勇気がいった。しかしそのとき父親は返事もしなかった。だから今回もどうせまた庭に行くのかなと思っていた。

ところが今回父親は庭ではなく風呂場に行ってくれたのだ。

すると俺は父親に対する許容の心のようなものが沸いてきたのだ。デカい貝殻の置物ぐらい飾らしてやれよ…センスがなくてもいいじゃないか…と。

マハトマ・ガンジーの言葉に「弱い人ほど相手を許すことができない、許すというのは強さの証しだ」というのがある。俺は強くなりたい。

それでデカい貝殻の件は、自分のなかでなんとか折り合いがつけれそうなのだ。

まあ、単に今回はそもそも不吉な感じがそこまで大きくなかったというのもあるのかもしれないが。

 

2つ目を書こうと思っていたのだが、もう時間的に遅すぎるし、台所も空いたようなので、今日はもう書くのを止めにする。明日書けたら書く。