ブログ書くのめんどくさすぎる。ほんとうに書きたくない。
しかしブログをどうしても書きたくない気分のときに俺はどういうブログを書くのかを自己観察するために今日もやはりブログを書く。
今日もほぼ何もしなかった。まあ何もしてないから、ブログも書きたくない気分になるんだろうな。書くことがないというのもあるが、それよりも「一日何もしてないのに俺はブログなんて書いてていいのだろうか…」と思ってしまうのが大きい気がする。
しいていうなら求人を少しだけ見ていた。だらだらとSNSやネットをサーフィンしながら合間に少しだけ。罪滅ぼしにすらならない程度で。
その際に『月曜日と水曜日と火曜日の朝9時15分から9時40分の間に家を出れる』という条件で求人を探していることに気付いた。
俺は今まで他責と言い訳ばかりを考えていた。まあ今もそうだが。
働くことに関しては、父親がいつでも台所にいるから家を出る前に飯が食えないと、言い訳をしている。
しかし同時にこれを条件としては見なしていなかった。
目を逸らしていたのだ。「なぜあの糞爺のせいで制限されなければならないのだ」と無意識にないものとして見なしていた。
しかしそれはあるものだった。
言い訳をしながらもそれを解決する気は無いので問題の存在を否定するという矛盾。父親のせいにしながらも、父親のせいだと認めたくなかった。
問題だと認め、向き合う必要があった。
『月曜日と水曜日と火曜日の朝9時15分から9時40分の間に家を出れる』という条件も無意識だった。
無意識にないものとして見ていたが、無意識にあるものとしても見ていた。真逆ではあるがどちらも無意識なのでボヤッとしていた。だから定まらなかったのだろう。
視点を定めることにしよう。ないものと見なすのは止め、問題だと認め、向き合う方向で行こう。
となると
- 求人を見る際は、父親が台所にいない数少ない時間に家を出れるシフト、という条件を最優先にする
- 飯を食わずに家を出る
- 大抵は父親が台所にいる時間だが交渉次第では譲歩してくれやすい時間のシフトを選んで交渉する(無理なら食わずに家を出る覚悟を持つ)
という具体的な方針が浮かんでくる。
話しは変わるが、父親が脱腸で悩んでいるっぽい。今日、脱腸ベルトなるものを売っている業者メモが見つかった。
どうやら母に対しては「病院は信用できない!めちゃくちゃにされる!」などと言っているようだ。彼は昔から近〇誠医師などの怪しい健康情報を信じているようで、何年も前から病院にも検査にも行ってない。ちなみに彼が何ヵ月もシャワーを浴びないのもそういった類の怪しい健康法などを信じているからのようだ。
しかし実際には病院に行くのが怖いというのもあるのだろう。ちなみにシャワーを浴びないのもただメンドクサイだとか、感覚過敏(感覚鈍麻)などによるものが大きいのではと、見ている。
ほんとうにどうしようもない野郎だ。
しかし俺もその遺伝子を受け継いでいるのだろうな。例えば、尻にある粉瘤(痔瘻かも)を何年も手術せずに放置してしまっているのとか。まあ、俺の場合自分が臆病だから放置していることは認めているので、そこは違うが。
めんどくせえなあ。自己判断で脱腸ベルトなんかで済ますべきではないし、なんとか病院に行くように促さなければならないのか、とか考えると。話し通じねえんだもん。