引きこもっていると会ったこともない相手にネガティブな感情(嫉妬、敵意、恐怖など)をもってしまう。なんなら全ての人に対してもってしまう。

ちくしょう毎日ブログ書くのめんどくせえ。記事のクオリティも下がってきてる。

今日あったことや思ったことをつらつらと書いていくと、途中でめんどくさくなってきて最後まで書くの断念しそうだから、書くことは一つだけにする。

まあ今日あったことなんて何もないんだけどな。なんも進展してない。ずっとそう。ああ今年中にバイトも無理かもしれん。2月ごろにフルキャスト登録して頑張ろうって思ったのに結局登録だけで終わり、9月にワクチン打ってから頑張ろうって思ったのにもう12月下旬。ちくしょう!くそが!

なんか一つだけ書こうと思ってたことも書くのめんどくさくなってきたな、まあでも書くか。

てか集中力続かねーんだよな。ブログ書いててもクソつまんねえから。記事を続けて書き切るなんてことが久しくできてない。てかできた記憶がない。大抵途中でTwitter見たり、他のことに目移りして、むしろそっちがメインになってブログ編集画面にたまに戻るみたいな感じでダラダラ書くになる。そして何書いていたか自分でもわからなくなってくるっていう。

まあどうでもいい、一つだけ書こうと思ってたことを今から書く。

あれだ、今日も相も変わらずダラダラとユーチューブを見ていたんだが、そこに若い女の子2人組が出ていて、わちゃわちゃ騒いでたんだ。

それを見て、普通の男なら「かわいいー♡」とか思うんだろうけど、俺は不快だったんだよな。なんかイライラしてしまったという…

なんなんだろうな。腹黒そうとか思ってしまうんだよな。イラつく。

ほんとに心が狭い。狭っ苦しい。

今回のユーチューブにかぎらず、若い人が楽しんでたり、オシャレしてたり、ワチャワチャしてるのを見るとイラついてしまう。調子にのりやがってとか思ってしまう。

これで思い出したのが俺の父親だ。父親もテレビとかで若い人を見ると怒っていた。ちなみに俺はそれで怖くて父親の前では最低限のオシャレもできなかったし、若さは謳歌してはいけないものだと無意識に思い続けてしまったさ。

で今の俺は父親と同じようなメンタリティになってるという。若い人を勝手に批判的な目で見てひとりでイラついているという。

これって一言でいうと嫉妬だよ。情けない。

で、嫉妬ってのは恐ろしくもある。

引きこもりが無敵に人になったりするときは嫉妬の対象を狙うと思うんだ。物理的に反撃されない対象を選ぶというのもあるだろうが、明らかに自分よりも不幸そうな対象を選ぶことは、あまりないだろう。

こないだの小田急線殺傷事件だって「若い女が羨ましくて嫉妬して殺そうとした」みたいなことを恥ずかしげもなく犯人は言い放ったようだ。

嫉妬は情けないし、恐ろしい。

ところで、人との関わりが少なすぎると嫉妬は憎しみに変わり膨張するのだと思う。

人は自分より幸せ楽しそうな人を見ると嫉妬することがある。それは敵意にまで変わることもある。

そして「コイツ嫌な奴そうだな」と思う。会ったこともない人間に対して。その正体は嫉妬なのだが気づいてすらいなかったりもする

しかし、もしも実際にその人と関わってみると、意外とその人はその人で苦労していたり、意外と自分に優しくしてくれたり、意外と打ち解けたりすることもあるだろう。それで敵意が消えたりする。

いや、もちろんその逆もあるけどさ。

しかし、引きこもっていると一方向にしか進まないんだよ。嫉妬の対象との和解は永久にこない。嫉妬心も敵意も膨張する方向にしか進まない。そしてその対象は増えていく。

人と沢山関わることはリスクでもあるが、逆に関わらなさ過ぎることは間違いなくマイナスにしかないらないだろう。

ちなみに「コイツ嫌な感じだなと思ったらそれは大抵当たっている、自分の勘を信じよう」なんてことが言われるが、それは引きこもりの人間にかぎっては適用すべき言説ではないと思われる。

なぜなら、引きこもっていると最終的には全てに対してコイツ嫌な奴そうだなとなっていく可能性が高いから。

結局は実際に関わってみることでポジティブな発見があったりもするのだ。ずっと誰とも会わない引きこもり状態が続くと、目に入る全ての人にネガティブな感情を向けることになっていくのだろう。それは嫉妬からの憎悪もあれば、嘲笑からの恐怖、とかもあるだろう。

とにかく引きこもりが続くと、人に対して誰彼かまわずネガティブな感情を持ってしまうようになっていく。

唯一、ネガティブな感情が沸きにくいとすれば“自分よりも不幸そうな人”なわけだが、ずっと引きこもっていると、そういった人達のことすらゴボウ抜きして自分の方が不幸になっていく。そしてまた嫉妬する。憎悪する。恐怖する。

沢山の人と関わった方がいい。俺の今の状況よりは絶対そっちの方がいい。

関わる相手は1人だけはダメだ、関わるのなら沢山の方がいい、なぜならコイツ嫌な奴そうだなの予想が当たってしまう場合があるからだ。むしろその方が多いかもしれない。そうすると更に人に対する絶望は大きくなり塞ぎ込み再度引きこもることになるだろう。それでは結局同じだ。

関わる言相手が1人だけということはそれがハズレだった場合のリスクがあるということ。

これを書いていると深夜の4時になってしまった。今日起きたのが19時半を過ぎていた。なんもやっていない。台所に父親がまだ居るので二階で待機して、父親が二階に上がってから飯を食いに行って、M-1の最後の方だけを見て、芸能人の自殺報道を見て、この記事の発端になったユーチューブ見たり、Twitterをしたり、この記事を書いたりしながら、この時間。なんだんだこれは。

ちっくしょー。