痔瘻が完治してから社会復帰しよう、つまり仕事を探そう、と考えていた。
順調にいけば1月中には術創が閉じて完治、という予定だった。そこから諸々の準備(散らかった家の整理など)をして、2月から求職(アルバイト)をはじめて、おそらく3月中ぐらいまでには社会復帰できればな、とか考えていた。嘘つけって思われるかもしれないが、ブログに書くとかえってできなくなる*1気がしたので心の中でそのように計画していた。
しかし先日の通院にて痔瘻再発疑惑が浮上した。まだ決定ではないが、もし再発していた場合、2~3月に再発確定、そこらから病院を変えるかどうかなど検討して入院手術の予約となると、入院手術は春、完治は夏以降、下手すれば来年以降になるかもしれない。術式がシートン法の場合、治療期間が1年に及ぶことがあるため。
よって方針を転換することにした。もう完治を待たずして社会復帰を目指そうと思う。本日から諸々の準備をして、2月(中旬)から求職をはじめようと思う。ちなみに現時点では日雇いではなく定期のアルバイトをしようと考えている。ということは、もしかしたらアルバイトが決まってから再発の有無が決定するかもしれない。運よく完治した場合はそのまま勤めればいいが、再発している場合は入院手術で長期休む必要があるため辞退することになる。ただし、再発していたとしても入院手術までに1ヵ月以上は順番待ちのスパンがあるだろうから、その間は日雇いをしようと思う。
まあそもそも、完治してから社会復帰ってのがおかしいんだよな。潔癖すぎる。準備が整わないと前に進めない、次に移れない、という俺の悪い癖が出ていたんだわ。
ニュースで見たのだが、ウクライナの人々は戦争中でも最前線の激戦地以外の地域では普通にみんな働いているらしい。激戦地以外の地域といっても、一日に何度も空襲が鳴り、ときに爆弾が撃ち込まれ人が死ぬこともある、そういった状況でも普通に働いているのだ。また、そういった人々は自分の父や兄弟、息子などが激戦地で戦っており連絡も取れず、もしかしたら自分が働いている間にも命が危険な状態になっているかもしれない、という心配、気がかり、を抱えている。それでも普通に働いているのだ。その理由をインタービュアーが聞くと、“あえてしている”らしい。経済活動をすることで国を支えるためというのもあるが、戦争に負けないように精神を強く保つため、戦時下でもあえて、できるかぎり普段どおり仕事や生活をするように心掛けているとのこと。たしかに、戦争だからということで完全に自粛して縮こまっていたら、国民の感情はさらに暗くなるし疲弊するかもしれない。
また、戦争をしている国でなくとも、例えば、癌になってしまった人も過酷な抗がん剤治療などしつつも、再発の不安などに苛まれながらも、できる範囲で仕事や普段どおりの生活をしていたりする。危険な状態になって救急に担ぎ込まれたりしても、回復して働ける状態になれば、また仕事に復帰していたりする。
考えてみればどのみち働かなければいけないんだよな。治ろうが治らまいが。万が一、クローン病や痔瘻癌などが発覚するにしても、できる範囲で労働はした方がいいわけで。痔瘻が完治するまで動けないとかおかしいんだよそもそも。できる範囲で社会復帰しないと。心配事がゼロで、完璧じゃないと社会復帰できないとかいう考え方が引きこもり生活を助長し続けてるんだよな。
あと思い出した、この方針転換に至ったきっかけはもう一つあって、先日の通院の際に、手術をして以降初めて外出先でトイレができたんだよな。まあ“病院内の綺麗なウォシュレット付き多目的トイレ”という好条件なトイレではあるが。
11月末の通院前にも書いたのだが、俺は頻便なのに外出先でトイレに行けないという不安がずっとあった。通院など数時間外出する予定がある場合は、数日前からコンディションを整えて、当日は家を出る直前に確実に排便して、しかしそれでも外出中に便意がこないか不安で仕方がなくて…といった感じ。こんな状態だと労働など無理だと考えていた。
それが先日ようやく克服できたわけだ。外出先でもトイレに行けるということが確認できたのはかなり大きい。
*1:俺は「〇月は〇〇をする」などと宣言すると、それで満足してかえってできなくなることが多い。ということは、これから書くこともできなくなる、ということになってしまうが…