心から思いやれる友人はいなかったかもしれん

だらだらと人のブログを読んでいたんだが、ある記事に『友人が重病になったとき心配で心配で食欲がなくなるほど精神的に参ってしまった』みたいなことが書かれていた。

参照:この記事の後半あたりの内容

それを見て、ふと、俺って今まで生きてきて、それぐらい思いやれる友人っていたかなあ、と思った。

まあ、今は引きこもりで一人ぼっちの友人ゼロの状態なんだけどさ、引きこもりになる10年ぐらい前とかは月に1、2回ぐらい会うような友人が2、3人はいたんだよな。しかし彼らがもし病気になったとして、俺は食欲がなくなるほど落ち込んだかというと、そうはならなかっただろうな。まあ心配とか同情はするだろうが、あくまで他人事として冷静を保つだろうな。

例えば、俺自身や母親のことだったら、ちょっと検査に引っかかったとかでも顔面蒼白で心配で心配で一日中気が気でなくなったりするんだろうが、他人である友人に対して、そのように思える感覚はないのかもしれない。

そして逆に俺が病気になったときも、多分そのように思ってくれるような友人はいなかったのかもしれない。まあこれは相手のことだからよく分からないが。

しかしまあ、今となって、俺は友人関係を全て切ってしまって、引きこもりになって孤独に苛まれているわけだが、これは必然だったのかもしれないな。

心から思いやれるような関係性の友人がいなかったわけなので。

相手のことを本気で大切に思ってないから、思いやってないから、切ってしまったのだろう。心も開けてなかったのかもな。そして、俺は俺自身が可愛かっただけなんだろうな。

また親を責めるようなことを書いてしまうのだが、親の教育もあるのかもしれんな。『友人はあくまで他人なので深入りするな』という教えのもと育ってきたから。

しかしまあ、俺は一人っ子で、今となっては親も高齢で、俺自身の能力は低く、そしてもう色々と詰みかけている。俺みたいな人間ほど友人を大切にすべきだったんだよな。

例えば、末期のがんになったときとか、心の支えになってくれるような人がいるといないでは全然違うだろう。だーれも見舞いにもきてくれない、親身に話も聞いてくれない、だとやっぱ寂しいだろう。めんどくせーなー、一人になりてーなー、と思うこともあるだろうが、それはあくまで孤独じゃないがゆえの贅沢な悩みだったりするしな。まあ、そこそこ頼りがいがあって、心から心配してくれる人がいると全然違うと思うんだよな、精神的に。

あーこれ、また、俺自身が可愛いがゆえの考えになっているな。自分が助かるために友人を大切にすべきだった、みたいな。結局自分のためになってるな…

こんなんだから、心から思いやれる友人がいなかったのかもな。

なんだろう、もっと、ナチュラルに思いやりを持って人と深く付き合える気質だったらなあ。いや、俺は思いやりはある方だと思うんだよ、よく「優しい」と言われてたし、でもナチュラルじゃないんだろうな。

だから今孤独になってしまったのかもしれない。

 

まあ、特段結論もない文章になったが、まあ、ふと思ったことを書いてみた。

 

ちなみにあれだ、昨日書いた美容院なんだが、今日なんとか行ってきた。これだけでも今日は頑張れた方だな。

 

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