実は「引きこもり」という言葉を使うのが苦手です

引きこもりという言葉を使うことが苦手になってきた。

いや、前から多分苦手だったんだろうな。Twitterなどでも引きこもりについて語るときなどは当然この言葉を使うしかないのだが。どうも違和感というかむず痒い気持ちになる。

なぜか?

そもそも俺は弱者や生き辛さを抱えている人に理由付けする言葉が基本的に苦手なようだ。

理由2つある。

1つ目は曖昧なものが多いということ。例えば、毒親という言葉って一体何なんだろうと思う。「私は毒親育ちなので辛い」なんて言うが毒親の定義が曖昧だ。そんなもん本人の自己申告に委ねられるだろう。人間の記憶なんて曖昧なものなので子供のころの記憶なんて無意識にいくらでも改変されるし。他者との比較も不可能だ。「これは経験した私にしか分からない」だとか言うが、そりゃそうだろと。逆に君も俺のことはわからないだろと。仮に君の親よりも俺の親の方が酷かったとしてもそれは誰にも分からないでしょと。両方を経験することはできないんだから。まあつまり言ったもん勝ちの概念だったりする。

もちろん毒親だけでなく、こういった言葉は山ほどある。機能不全家族、AC(アダルトチルドレン)、インナーチャイルド、生き辛い、死にたい(希死念慮)、自殺未遂、鬱、起伏が激しい(躁鬱)、不安感、孤独感、強迫観念、過敏、HSP(非常に繊細な人)、コミュ障、多動、注意欠陥、発達障害、諸々の精神疾患名、障害者、ギリ健、社会不適合…挙げればきりがない。

いやいや、発達障害精神疾患名は曖昧なものではないだろ、医者の診断があるのだから。確かに、むかしながらの重度の精神疾患ならそうかもしれない。しかし広義化された現在ではその限りではないだろう。例えば、同じ発達障害でも、金持ちで家庭持ちで障害とは到底思えないような人もいれば、無収入で引きこもりで童貞で友達ゼロで高齢でドン底の人もいる。これは、現在の発達障害って概念が広すぎて極めて曖昧だからという部分がある。スペクトラムなんて言葉で片づけられてるが。ちなみに前者は病院を変えれば診断降りなかったりする。医者の匙加減や本人のアピール力も大いに関係するのだ。まあ診断取ったもん勝ちのような概念だったりする。これに関してはセンシティブな分野なので“全てがそうではない”と断りを入れた上でな。

では、先ほど書いた「無収入で引きこもりで童貞で友達ゼロで高齢で」という言葉はどうだろう。これらも弱者や生き辛さを抱えている人に理由付けする言葉ではある。しかしこれらは曖昧ではない。だったら冒頭で書いた引きこもりという言葉を使うことが苦手というのはどういうことなんだ?それは2つ目の理由によってだ。

2つ目の理由とは、要するに生き辛さや弱者であることをアピールすることが俺は苦手なんだよ。ましてや、そういった言葉を多用して悲劇のヒロインみたいに振る舞ってる人などを見ると吐き気がする。もちろん本当に悲惨な状態な人もいる。しかしお前は本当にそうなのか?という人が散見される。ただアピールが強いだけなのではという人が。まあ弱者である俺がこんなこと言うべきではないんだろうが。また、弱者や生き辛さを理由付けする言葉をアイディンティティにしたり、あるいは承認欲求を満たすための道具にしているのも嫌いだ。まあそれよりも一番嫌いなのは金儲けの道具にするために強者が弱者の蓑を被ってほぼほぼ嘘を吐くような形でそういった言葉を使いこなしているケースだけどな。つまりこれはメンヘラインフルエンサーのことだが。

もちろん、俺はそういったつもりで引きこもりという言葉を使っているわけではないんだがな。ただ事実として俺の状態がそうだから書いているわけであって。しかしなんか心地悪いんだよな。可哀想ぶろうとしているというか。やはり弱者をラベリングするための特定の言葉を自分のアイディンティにしているクソみたいな人間をTwitterではクソほど見てきたからそいつらと重ねてしまうというか。

しかし、この考え方は弱者としてよくないんだろうな。俺みたいな弱者がこういった考え方を持ってしまったら更に転落していくんだろう。最後は自殺か餓死かあるいは無敵の人になって通り魔か。なんせ弱者のくせに「弱者ぶることはいけないだ」なんて考えてるんだから救いがないわな。他者からの救いへの期待がもてない。そんな奴そりゃ誰も助けてくれないよ。終わりだわ。

しかし一方で、俺は自分を客観視できていない部分もある気もするんだよな。6年も引きこもりから抜け出せていない現状や幼少の頃からぽんこつで生き辛かったことも考えると俺が弱者であることには変わりないのだが。思っているほど弱者じゃない気もするというか。いや、それは言い過ぎか。潜在的にはそのような可能性があるというか。現状の事実としては最弱者といっても過言ではないような社会的な立場ではあるが、例えば、まだ這い上がれるのではと希望を微かに心の深い部分に抱えている気はずっとしているのかもしれない。まあこればかりは社会復帰してもう一度人生に挑戦してみないと答えは分からないわけだが。

しかしおもしろいな、俺はバカだ。前半から中盤にかけて弱者や生き辛さを表現する言葉を使うことをこれだけ腐しておいて後半では早速、引きこもりだのぽんこつだの生き辛いだの自分が使っているんもんな。マヌケだ。てか今までもこのブログの過去記事でもツイッターの過去ツイートでも使いまくってきたし。てか今後も使うんだろうがな。でも使っていて心地が悪いということは事実なんだよな。