引きこもりが「努力が足りん、もっと大変な人もいる」という正論で殴られないようにするには

基本、引きこもりは愚痴かネガティブなことばかりを言う。Twitterにいる引きこもり達も日夜愚痴かネガティブなことをツイートし続けている。俺もその一人なわけだが。

そういった発信をしていると「努力が足りない、もっと大変な状況の人もいる」といった言葉をぶつけてくる人がいる。今日まさにその現場を見かけた。

この2つは、自分のコミュニケーション能力の無さに嘆く発信をしていた引きこもり当事者に対して、ぶつけられたリプライである。

 

努力が足りない、もっと大変な状況の人もいる、これらは正論なんだよな。言われなくても分かっている。しかしそれが出来ないから苦労しているわけだ。

好きで底辺になったわけではない、引きこもりという状態を好ましいとも思っていない。出来るものなら努力できる人間になってこの状態を抜け出したいし、もっと大変な人がいて自分なんて幸せな方だと考えれるメタ認知能力の高い人間にもなりたい。しかしそれが出来ないから今の状況に居るのだ。

そういえば、以前このブログにも『頼れる親がいて幸せですね』という旨のブコメがあり、それに対する怒りの記事を書いたことがあったな。

この状況を好ましいものとは思っていない、ただただ辛いし、状況が変わるなら変わりたいと思っている。そこにさらに“お前は贅沢なだけ、努力不足なだけ”などと言われたところで、さらなる不快の種が増えるだけなんだよ。より気力は低下する。イライラと抑鬱が襲ってくるだけ。そんなもんで更生できるはずもない。誰も得しないんだよ。得するとすれば、正論で殴って気持ち良くなり一時的に憂さ晴らしができる下劣な人間ぐらいなもんだろう。

 

引きこもりにとって、こういった正論で殴ってくる人間は暴漢のようなもので、暴漢から身を守るには2つ方法がある。

一つ目は、ややラディカルなことを書くが、障害者手帳をゲトることだ。これによって暴漢から「お前は努力が足りない、もっと辛い人もいる」と殴られても「病気だから努力できないんだ!足が無い人に歩けと言うのか!、精神疾患はガンと同じぐらい辛い!この辛さが理解できないお前は無知なだけだ!」と殴り返すことができる。

ちなみに障害者になるのにも努力が必要なようで、以下のツイートに主な方法をまとめておいた。

二つ目は、考え方を変えて努力することだ。考え方を変えてメンタルを整える、現状を変える努力を進めていき健常者(ギリ健)として労働に復帰する。つまり暴漢が言うように、もっと大変な状況の人がいて自分はまだ幸せだと思い込む、努力が足りないので努力する、という誰もが知っているような陳腐で当たり前のことをするのだ。そして欲を言えば人前では愚痴を吐かないようにする。

そうすれば暴漢に襲われることはないだろう。

まあ、それができれは苦労はしないんだけどな。

 

ギリ健で引きこもりってのは、こういった2つの狭間に居る。やらないのではなく出来ないという状態と、出来ない免罪符を持っていない、という2重苦。だからこそ辛い。

だから現状では、クソ陳腐な正論をぶつけられても言い返すことすらできない。既に引きこもりの精神はグロッキー状態にあるにもかかわらず、偽りの善意を盾にただ自分の鬱憤を晴らしたいだけの下劣な正論者という名の暴漢にサンドバックのように殴られるしかないのだ。

そこから抜け出すには、免罪符をゲットするか、出来ないを出来るようにするため粘るか、である。ちなみにこれはどこで損切するかが難しい問題でもある。