例えば、『精神疾患を持つ人』という弱者属性については、近年心療内科への敷居が下がったこと、軽度の発達障害など精神障害の規準が広義化したこと、などによって裾野が広がっていき、それに伴い利権も強くなってきているように思う。これはSNSなどで多くの当事者たちが情報を発信しているから、というのもあるかもしれない。とにかく「精神疾患への差別は許さない!理解と配慮をしましょう!」というのは耳が痛いほどよく見かける。
しかし、こと加齢によって人が弱体化することにおいては、理解と配慮は年々薄れてきているように思う。なんなら理解と配慮どころかむしろ「年寄りなんかどんどんバカにしていこう!気を使う必要なんかない!」といった、アンチ老人の風潮すらも感じる。老害という言葉を頻繁に見かけるようになったのも近年のことだろう。
しかし先に書いたように加齢によって人は弱体化していく。体力は低下し、物忘れは酷くなり、脳も劣化してゆく。つまり『老人』も弱者属性のひとつである。にも拘らずネットやSNSなどでは老人という弱者属性へのバッシングが割とカジュアルに行われているように思う。
弱者がのさばる時代、なんて言葉を耳にすることがあるが、どうなんだろうか。
シーソーゲームのように弱者の利権の強さは行ったり来たりしているように思う。社会から見て気の毒に見えるときは配慮の方向へといくが、増長し過ぎると叩かれる、といった具合に。
老人は長年配慮され敬われてきたけど調子にのり過ぎたので近年叩かれるようになった。精神疾患を持つ人は長年差別され迫害されてきたけど病名の定義付の変化と宣伝によって近年徐々に数の力で伸し上がってきた。つまり時代によってどの弱者の利権が強いか、つまりどの弱者が得か、みたいなのは変わってくるということ。
しかしあれだな。話は少し変わるが、近年よく見かける年寄りへのヘイト、これを見かけるたび俺は損した気分になるんだ。俺が10代とか20代のときは、年寄りは敬え、若い奴は買ってでも苦労しろ、みたいな風潮だった。親からも会社員だったときの上司からも、若い間はイジメられてナンボ、とにかく我慢しろ、という教育だった。しかし今はなんだ、メディアもインフルエンサーも若い人に気を使っているように思う。「最近の若者は…」なんて言おうもんなら、一瞬にして「老害!」と反撃されるからだろう。
勘違いしないでほしいのは、俺は、最近の若者は、という言い方は嫌いだ。しかし老害という言葉も嫌いだ。本質ではなくラベリングで人を判断しようとしてるからだ。
しかしなんだか損した気分になるんだよな…
まあまたシーソーゲームのように勢力図は変わってくるんだろうけどさ。