先延ばし癖のある奴は一度引きこもると脱出しにくい

Twitterニートの人が先延ばし癖について語っていた。あまりにも俺に似ていてびっくりした。

俺も昔からずっとそうだった。

登校はギリギリで遅刻が常習。定期テストもテスト勉強をギリギリまで先延ばしするので結局ほとんどやらない。提出物も出さない。結果、成績は学年で最下位争い。自分で言うのもなんだが多分ちゃんとテスト勉強すれば平均ぐらいは取れたはず。でもそのテスト勉強ができない。だからテスト勉強が関係ない現国だけはそこそこ取れたり。

やらなきゃやらなきゃ…と思いながらも着手できず、いつも強烈な自己嫌悪と戦っていた。

 

話しは少し変わるが、引きこもりが長期化するのも、同じく引き延ばし癖によるものがあると思う。引きこもりという好ましくない状況をどうにかしたいと思いながらもどうにかすることを先延ばししてしまう、という。

しかし引きこもりが厄介なのは、第三者が居ないのでペナルティーもタイムリミットも無いということ。学校や仕事なら、引き延ばしによって弊害が起こると教師や上司からの叱責や罰がある。恥をかくこともある。まあそれでも出来ないのが俺なんだけども、それでもいつかは卒業や退学、クビ、というゴールがくる。するとその状況は終了して次のスタートラインが切れる。

しかし引きこもりにはそれがない。先延ばしして放置していると引きこもりという状況はずーっと続くわけだ。だから50歳になっても引きこもりという人も沢山いるんだろう。

先延ばし癖がある人間は社会不適合になる場合が多い。そりゃそうだ。基本的にやりたいことにしか意欲や集中力が発揮できない。それで時間どおりに目的地に付くということすらままならないんだから。根性論で必死に取り繕ってもどんどん疲れてくる。そしてニート、引きこもりになる。で、恐ろしいのが一旦引きこもりになるとそこから脱出するのを先延ばしにしてしまうという点。

 

この話題にオチはないし、これといった対策法はない。というか思いつかない。なんせ今俺が引きこもりから脱出することを先延ばしにして5年以上が経過してしまっているのだから。

ただ、引きこもりが脱出する過程においては、やはり“”大きなきっかけ”がある場合が多いようだ。

例えば、以前2ちゃんで見たんだが、引きこもりの親が息子を置いて家を出たという話。親が居なくなって衣食住の提供が無くなり、生命維持するためには働くしかなくなり、変わりざるえなくて、それで引きこもりを脱出したという。

あるいは川崎の引きこもりが起こした殺傷事件。これも親というライフラインが無くなるという現実を突き付けられたことがきっかけだったらしい。それで強制的に最悪の形のゴールとなったわけだが。

あるいは、引き出し屋によるヤ○ザ的な強行突入からの強引な環境変化。賛否はあるが、これも大きなきっかけであることには違いない。

しかし引きこもりを脱出するための大きなきっかけとなりえる事柄は、多くの場合、とても厳しいもので、結果として訪れるゴールもゴールはあってもスタートが永延に切れないような悲劇的なものだったりする。死とか凶悪犯罪者とか。

つまり引きこもりが終わる大きなきっかけとは、親とういうライフラインが無くなる、自分自身が大病にかかる、第三者が強引に介入する、などが考えられる。まあこの中だと第三者の介入がまだマシだから引き出し屋というのが成立するんだろうな。決してベストではないけど、リスクはあるけど、他の最悪な大きなきっかけに比べればベターということで。

あと、うろ覚えで、どのブログだったかすぐに見つからないのでリンクを貼れないんだが(後から見つけたらまた貼ります)、とある元引きこもりの人のブログで、何年も会っていなかった友人(兄弟だったかも)と会うことになって、そこに友人の子供がきていて、あまりにも可愛くて、子供に小遣いや玩具を買ってあげたくて働きだしたというのがあったな。こういうきっかけが一番いいかもしれんな。しかし会えるような友達も兄弟も居ないから引きこもりだったりするんだけどな。

先延ばし癖の酷い人間が一念発起して変わることができる瞬間というのは、大きなきっかけが必要で、これは引きこもりという状態から脱出するという作業においても同じということ。

では、俺自身が過去に大きなきっかけによって一念発起して変わることができたことはあったのだろうか、とふと思った。そういえば一度だけあるな。大学を留年したとき。授業に遅刻しまくりとうとう大学にほとんど行かなくなってしまった。それで留年したバカ。当時の俺にとって留年とは強烈なインパクトがあった。そこから1年間ぐらい別人のように変わった。あのときだけは先延ばし癖がなくなっていた。授業の出席率、提出物、見違えるように変わった。まあZランク大学だったので大したことではないが俺にしては上出来だった。

引きこもりという状況を脱出するにはあの時のように自分が大きく変わる必要がある。いや5年も引きこもってるんだ。あのときよりも大きく変わらないと。ということはあのときよりも強烈なインパクトのある“大きなきっかっけ”を待つか、いやそのときにはもう人生は終わってるだろう。人生が終わるぐらいの大きなきっかけだと意味が無いんだよ。人生が終わるほどでなくとも、代償が大きすぎるのは嫌だ。

と言いつつもう既に時間と若さと金と機会の喪失という強大な代償を払っているわけだが…

これ以上大きな代償、大きなきっかけが来るまで待つのはダメだ。ダメなんだよ。

とダラダラと考えていても結局解決策および結論は出ず!