縁起強迫への強がり

父親が降りてくるとブログを書いていても全て消す必要が出てくる。なぜならその文字は不吉さを含んでいるから。なぜならその文字は汚れているから。

しかしまあ不吉であっても汚れていてもいいではないか。たかだかブログだ。恋い焦がれた女へのラブレターを書いているわけでもないし。

というか不吉だとか汚れるだとかは幻想だ。嘘である。こんなもんに踊らされてものごとを制限されるぐらいなら不吉でけっこう。汚れてけっこう。

だって嘘なんだもん。実際には不吉でもないし汚れてもない。

何の問題もないことを問題があるかのように考えすぎることはよくあることだ。強迫観念ってのはその極みみたいなもんだ。

くだらなすぎる。

独りよがりな幻想は無駄に複雑に絡みまくった紐をほどいていくかの如く訂正していく必要がある。

父親が降りてきてもブログを書くということはそういった意味がある。

またブログの文字数を気にしないという必要もある。

はてなブログは編集画面に今書いている文字数が表示される。今374文字と表示された。この3つの文字の組み合わせ順は俺にとって気持ちが悪い。なので文字数を増やしたり削ったりする必要がある。

しかしこういった観念に従ったら最後、幻想にまた敗北したことになる。ここは負けに甘んじてはいけない。なんなら敢えて気持ちが悪い数字にしてやろうか。

と書いていると今度は539文字と表示された。これは俺にとっていい数字だ。この数字でブログを終わらすと気分が少し救われる。しかし今日は敢えてこのいい数字で終わらないようにしてみようか。

なんて考えながら書いている。

ああでも無理だな。次から次へと湧いてくる観念にどうしても従ってしまう。ウィンドウの配置、単語、今聴いている音楽…の持つ意味。

ルールが多すぎる。全てのルールに逆らうのは無理だ。

あれだな、全ての幻想に勝つことに拘らずたまに負けてたまに勝つぐらいでいいか。そうしないとキリがない。