オカシクてポンコツな人間が苦し紛れにとった対人関係の戦略は長い時を経て爆発しがち

父親は俺に対してはビビッて怒鳴ることはなくなったが、母親に対しては相変わらずよく怒鳴る。

今日も怒鳴っていた。

父親は最近のマイブームなのか家中のいたるところに印をつけてまわっている。どうやらぶつかると危険そうなところに印をつけているらしい。

棚のガラスの扉、シンク台の角などに赤の油性マジックを塗っていく、やかんの注ぎ口、庭の木の枝などにはヨーグルトの空容器をかぶせていく。

次から次へと。ぶつかるはずもないような所に。

側から見れば異様な光景である。ボロい家が余計に汚らしく見える。

今日もせっせと赤マジックを塗っていたので、母親がついつい口出ししてしまった。軽く諭す程度だった。すると発狂するかのように怒鳴るのだ。会話になんかならない。

これに限らずだが、父親のオカシナ行動は老化によるものというよりも、昔からずっとあったものと思われる。生来の気質として、頭が悪いうえに強い拘りがあるので、しょっちゅうオカシナ行動をしてしまうのだろう。

また、父親は不注意によるミス、段取りの悪さ、先延ばし癖による放置、などのポンコツさも散見される。それでも家の中ではやたらと偉そうにしているが。

ちなみに、これらの気質は昔親戚の集まりなどに行ったときに特に著しく目立っていた。

ここからは俺の仮説というか想像なのだが、父親はこのオカシナ行動とポンコツさによって親や上の兄弟からしょっちゅう怒られていたのだと思う。上の兄弟と執拗に会いたがらないところを見れば分かる。実際、昔親戚の集まりなどに行ったときは上の兄弟と接するのを避けていたのを記憶している。

また学校などでも友人や年下からよく馬鹿にされていたのだと思われる。社会にでてからも苦労していたようで、転職回数は十数回、父親は家に帰るとよく会社の人間の悪口を言っていた。まるで自分と関わった人間を悪魔かのようにボロカスに腐していた。

少なくとも俺が物心がついてから父親が他者と対等に交流しているのを見たことがない。相手が胡麻をすってくれる業者だとか、偶に家に来る伯母とは喧嘩して伯母が帰っていくとか程度で。近所の人とは挨拶はちゃんとするが、当然そことは込み入った会話などはしないので。

誰とも対等に付き合えなかったのだ。怒られる、バカにされる、鴨にされる、喧嘩になる、表面上の挨拶のみ、基本このどれかということ。

そして、父親は実は小心者なところもかなりあって、特に若い頃は怒られたりバカにされることが多かったと想像する。恫喝されたりその恐怖から相手に従うことも多かったのだろう。それによってオカシナ行動が一時的に抑制されていた面はあるだろうが。

また、父親はよく騙される。保険業者や建築業者、訪問販売などにどれだけ搾り取られたことか。おそらく業者だけでなく昔から嘘や屁理屈で丸め込まれたことが何度もあるのだろう。

つまり父親は恫喝や嘘や屁理屈によって恐怖心や欲望を刺激されることで相手に従ったことしかなかった。相手の価値感を理解して納得して従った経験、あるいは話し合いをして相互理解の上で折り合いをつけたという経験がない。

この原因としては、認知の歪みによって他者の価値観を理解するのが困難であること、脳内多動によって相手の話をじっくり聞いて理解する力が不足していたこと、などが挙げられよう。ちなみに前者は頭が悪いうえに強い拘りがあるのでオカシナ行動をしてしまうという気質、後者は不注意によるミス、段取りの悪さ、先延ばし癖による放置、などのポンコツさに繋がっているように思う。

では家族に対してはどうだろう。旧家族の親や上の兄弟からはことあるごとに怒られを食らい納得のいかないままそれに従っていたわけだが、自ら築いた新しい家族とはどう付き合っていったのか。

答えは簡単だ。オカシナ行動をしても怒られを食らわないようにする、ポンコツさを発揮しても怒られを食らわないようにする。これを徹底する。

そのためには自分が絶対的な存在になるしかなかった。

その方法として過去自分が屈服され続けてきた経験を活かした。旧家族の親や兄弟から受けた怒られ、自分よりも立場の上の人間から受けた恐怖によって理解や納得をしないまま従わされた経験、狡猾な人間から受けた嘘や屁理屈で丸め込まれた経験、これを家族に使って操作しようとした。自分のオカシナ行動を指摘させないため、それを押し通すため、相手に強要するため、そして自分のポンコツさは隠しつつ。

まず母親は馬鹿で依頼心が強い。思考が停止している。疑いを持つということを知らない性格で考えることが苦手だ。だからそれにまんまと乗ってしまった。家庭において父親という存在は絶対だということを信じて疑わなかった。そして俺も子供だったので疑うことなくそれに順従した。

しかし時が経ち俺が気付きはじめた。若い頃に何度か反抗を試みたことがあった。そのときは大目玉にあった。それで一時はもう諦めていた。しかし俺は引きこもりになってしまった。頭がおかしくなっていき許容が小さくなっていった。一方父親は老化によって弱々しくなっていった。俺がキレてしまった。立場が逆転した。つまり俺は父親がやってきたことをそのまま返した。胸糞が悪い。だから結局やはり我慢するのだが。

最初はシーソーゲームのようだった。俺がキレた後も父親がキレることがあったりしたから。しかし力関係は徐々にこちらに寄ってきた。俺の方が強くなったのだ。俺は自己嫌悪に陥った。俺は恫喝は嫌だから説得をしようとするのだが恫喝になってしまう。これじゃ父親がやってきたことをやっているだけ。それが嫌だから我慢する。しかしそれはそれでしんどい。我慢したり恫喝したり。でも自己嫌悪の方がしんどいのか結局我慢が多い。まあ父親は俺を恫喝しなくなったしな。だから今は基本硬直状態。

書いていてちょっと熱くなってしまった。

もう1つ書きたいことがあるからここからはそのことを書く。

ここまでの内容はさっき1月2日の深夜にぼーっと考えていたことだ。いや、ぼーっとというよりイライラしながらだな。

で、ブログなりTwitterなりに書こうと思った。

しかしその後おもしろいことが起こった(まあ全然面白くはないんだが(どっちやねん))。

俺が母親に対して父親がしているそれに近いことをしまったのだ。テレビのリモコンに関するとても些細なことでキツく言ってしまった。母親はすぐに折れるので俺に従う姿勢を見せた。ああ父親と俺はやはり似ているな。しかも親に対して引きこもりの息子がやってんだよこれ。クソすぎるよな。

俺は父親ほどオカシナことを言ってるつもりはなかった。論理立ててそうすべきだと思ったからキツく言った。しかし少しするとそれはそこまで拘るようなことではない気がしてきた。父親ほど狂った拘りではないが、俺も自分の拘りをキツイ言い方で無理矢理自分より弱い相手に通そうとしているのだ。

ああ、ああなってしまったらダメなんだよ。俺は。父親を反面教師にしないと。父親のことをこき下ろしながら、自分も同じような道に進もうとしていたという。

しかしあれだな、父親のやってきた戦略は自分を守る為なんだよな。考え方を変えれば。

じゃあ俺はどうすればいい。頭の悪い拘りやポンコツさは父親から引き継いでいる。しかし恫喝や詐称などの姑息なコミュニケーション手段を取るような人間にはなりたくない、というかそんなことできる度胸もない。もちろんグラデーションになっていて姑息なコミュニケーション手段もシーンによっては多少は使う必要があるものなのだろうが。

結局、いま俺は全てを放棄して引きこもりになっている。自分のオカシナ拘り、ポンコツさ、これらに対して他者から姑息なコミュニケーション手段を使われ抑圧を受けるのも怖く、かといってこちらがそれを貫き通すために他者を姑息なコミュニケーション手段を使って抑圧するのも無理。だから引きこもりになったという。これはある意味父親と同等か、もっと酷い未来に向かっているのではなかろうかと。

ここで終わると悲観的過ぎるのでもう少し書く。

やはり一度社会にでるしかないんだろな。それでトレーニングする。キーワードは先にも書いた、グラデーション、シーンに合わせた対応。まず俺はオカシクないところも大いにある。父親ほどオカシクはない。だから基本、理解と納得という手段を取りたい。そしてときには他者から姑息なコミュニケーション手段によって抑圧されるのを我慢する。その場合俺がオカシイ可能性も大いにあるわけだし、あるいはこちらの方が弱いのなら無条件に折れるのも仕方がないこともある。逆に絶対的に自分が正しいと確信していているのに話が通じない相手にはこちらが姑息なコミュニケーション手段を使うことも考える。ただしそういった関係しか作れないような相手からは基本逃げる。でもまあそれをやった結果引きこもりになったんだけどな。

あー結局は悲観的になった。

まあいいか。後半300文字ぐらいは今後の何かしらヒントになるかもしれんし。いや、ならんか。まあどっちでもいい。