心が病んできても許容できるアート

アートには病んだ人の心を救ってくれる力があると思う。

甲本ヒロトは死のうと思えるほど精神的に落ち込んでいたとき偶々ダウンタウンの『ガキの使い』を見て救われたらしい。ちなみに松本人志は「お笑いは一種のアートだ」と言っている。

 

ただ病み過ぎるとそのアートを受け入れる余力すらも無くなってくる。

例えば、うつ病の人がしばしば「今まで楽しめていたことも楽しめなくなった」という話をしてるのを見かける。この気持ちはなんとなく分かる。

また、この感覚はグラデーションになっているとも思う。

重度のうつ病のように全てが楽しめなくなるというケースも当然ながらあるだろうし、もしかしたら突如としてそのような状態になることもあるのかもしれない。しかし多くの場合、徐々に楽しめるアートの幅が狭くなっていくように思う。そして逆に、回復していくと楽しめるアートの幅は広がっていくだろう。

 

例えば俺の場合、左ほど心の余力が少なくても受け入れられるアートのジャンルだ。

音楽→お笑い→ドラマ→映画=小説(読み物)

つまり、小説(読み物)が読めなくなるのは初期症状、お笑いで一切笑えなくなるとだいぶヤバい、音楽すら聴けなくなるとかなりヤバい、って感じ。

また、同一ジャンル内でも幅がある。例えば聴ける音楽の幅みたいなのがあって、ヤバくなってきて音楽も聴く気にならねーなあとか考えつつも、ランダム再生していると、ふとまだ心が少しだけでも癒される曲があったりする。

まあ、余力が少なくても受け入れられるアートというのは、手軽さと、どれだけ好きか、ということによるのかもしれない。

 

ちなみに、最近の俺の状態としては、音楽をよく聞くようになりお笑いも結構楽しめるようになってきた。一時期は音楽もほとんど楽しめなくなっていたが、楽しめるモノの幅が広がってきたので良い傾向。

 

あとちょっと話は逸れるが、落ち込んでいた心がアート(音楽、お笑い等)によって癒されると、アーティストに対する感謝の気持ちが沸いてくるな。

働いて金が入るようになったらyoutubeでタダで見るだけじゃなくて金払ってお返ししないとなと思ったりする。