人を批判するのは向いていないのかもしれない

人を批判するってのは大抵後味が悪いな。

人を批判することで得られる結果は以下の3つ。

  1. 相手をやっつけられる
  2. 返り討ちにあう
  3. 相手にされない

2.と3.は当然好ましくないとして、1.もあまり良いものではない。

1.が可能な相手は

  • 自分より弱い
  • 寛容な心で折れてくれてる

のどちらかの場合が多く、結局こちらの心も傷むことになる。申し訳なさというか、同情心というか、罪悪感というか。

相手の間違った考えを正すことができて一件落着!みないなのは、あまりない。

けど、相手から攻撃されたときの、正当防衛のための批判は言わなかったら言わなかったで、あとからイライラして後悔したりもするんだけどな。

 

例えば、よく父親は昔から俺や母に理不尽な攻撃をしてくるのだが、俺がグレて引きこもりになった今となっては、父親はもう70代後半のよぼよぼの老人で、そんな父親に対して俺は徹底的に批判することがある。

昔は父の方が強くて暴力や暴言の応酬で制圧されていたのだが、今はよぼよぼの老人なのでこちらが大声で怒鳴り散らかせば一蹴できるようになってしまった。

しかし罪悪感があるのかその後2、3日は気分が沈む。俺は過去の復讐をしているのだ!とか思ったりもするのだが、 気分はけしてスカッとはしない。怒鳴り散らかした瞬間は一種のカタルシスのようなものがあるが、その後はどよーんとした陰鬱な気分になる。

されるがままで相手に対して不満や憎しみが蓄積するのも辛いが、自分が相手を上回る迫力で応戦して勝ったところでそれはそれで気分は良くないっていう。

 

何なんだろうな。

 

単純に話が通じない相手だからそういう風になるってのもあるかもしれん。それだったら、相手にせず距離を置くことに徹するべきなんだろうけど、なかなか難しいな。

 

あるいは、俺が加減が分かってないってのもある。不快感を感じたらサッと指摘して、通じなさそうなら身を引くみたいなのが良いなのかもしれん。

というのも2日前、このブログに不快なコメントをしてきた人がいたんだが、そのことを記事に書いたら、さらに追撃のようなコメントがあって、相手のブログにそのことを苦情としてコメントしてしまった。

しかし考えてみれば、最初のコメントは悪意があるように感じたのだが、追撃のコメントはそこまで悪意はなかったのかもしれない。ただ不快ではあったが。

だったら受けた不快なコメントを非表示にして忘れれば済む話。なのになぜ俺はいちいち相手のブログに苦情コメントまでしてしまったのか。結局、後から負の感情として反芻しているんだよな。