父親に対する憎悪の取り扱いについて

ツイッターだとすらすらと思考展開を文章化できるのだがブログだと中々難しい。

なぜかブログだと、書き始めるまでが難しいし、書き始めてもすぐにつまる。

まあブログだと、無駄に構えてしまうというか、気負ってしまうというか、そんなところだろうな。あとは未だにブログに慣れてないというのもあるのかもな。

そして今日も時間が遅くなってしまって、ブログを書く時間がほとんど残ってない。

ということで、今日は昨日ツイッターに書いた内容とほぼ同じ内容を書く。軽く補足しつつ。

 

父親に憎悪してしまうことに俺は悩んでいる。

俺は考えた。

  1. 父親への憎悪の感情を持つ
  2. その憎悪の感情をSNSやブログに書く
  3. その憎悪の感情を母などに話す
  4. その憎悪の感情を直接本人にぶつける

1.は防ぎようがないし、これ自体は直接的に人に迷惑をかけているわけではないので、悪ではない。

4.は悪だ。なぜなら加害行為だから。

では2.と3.はどうだろう。負の感情を見せられたり話されたりする相手としては、不快になる可能性があるので、悪かもしれない。 とくに3.は相手は逃げれないので。ただ2.は読む側は不快であれば簡単に離脱ができるし、逆に共感し「同じようない人もいるんだ」と気持ちが楽になる人もいるかもしれないし、人間観察として冷静に興味深く見れる人もいるかもしれない。

また、2.3.は自分自身に好影響をもたらす可能性もある。例えば、これらによって憎悪が発散されて4.をせずに済むといった可能性がある。しかし逆に、負の感情を言葉にすることによって、強化され、膨張して爆発するという形で4.をしてしまう可能性もある。つまり、好影響になる可能性もあれば悪影響になる可能性もある。

ここまでをまとめると、1.はOK(仕方がない)、3.4.は基本NG(我慢する)、2.は好影響悪影響どちらにもなりうるので自分がどちらに振れているか自己観察しながらやっていく、といったところだな。

ちなにみ、「4.は加害行為だから悪だ」と書いたが、対話という形でぶつけることができれば、分かり合える可能性もあるし、お互いが譲歩する形で収めることができる可能性もある、そうすれば俺の父親への憎悪自体が軽減もしくは消失できるかもしれないよ、と思われるかもしれんが、それは無理だ。

なぜなら彼はもうそういう相手ではないのだ。それができればこの何十年間でどうにかなっている。これまでの彼の思考やコミュニケーション方法を観察していると、彼は基本、加害者になるか被害者になるかの二択でしか人間関係を築けない。つまり4.の直接本人にぶつけるというのは、こちらが一方的に恫喝などをするか、返り討ちにあうか、のどちらかしかないのだ。まあ今では俺の方が強いので基本前者となる可能性が高いが。

だからそれはやりたくないので、4.は基本NGとなるのだ。

 

以上、昨日ツイッターに書いたことを大体そのまま書いた。後半はやや補足多めで。

ちなみに、4つに分類したが、全く別の方法での解消方法もあるだろう。要は、他のことをしたり考えたりして憎悪を忘れる、あるいは別の感情に変化させるといった方法だ。ただし今回は憎悪そのものに対する直接的な取扱いとして書いたのであしからず。