父親の救急車騒動から思ったこと

8月31日から本日9月2日まで、また東京遠征してた。その直前の8月29日の出来事。

30日は日雇いが入ってたので、29日中に遠征の準備は済ませておきたかった。しかしまあ、俺は相変らずだらしがなくて遂行能力が低く、父親に関する強迫観念も手伝ってか、たかだか準備に手間取っていた。それで、半分ぐらいしか完了せぬまま夜になってしまった。しかし半分ぐらい進むと気分も乗ってくるのか、このままやり切れそうな気もしてきた。そんなとき父親が隣の部屋に来て寝転がった。強迫観念が湧いてきた。でもやり切らねば、と思うも、やはり手が止まって動けない。けっきょく諦めて残りは30日の日雇いから帰ってきてからやることにした。

 

しかしまあ母親曰く、父親がどうも調子が悪いとのこと。たしかにずいぶん長いこと寝転がったままだ。3時間ぐらいだろうか。しかしまあ、こういうことは過去にも度々あったということ、彼の性質として本来の目的を隠すために別の目的を提示するということをやりがちなこと、まあつまり嘘をつくということ。ちなみにこれは昔からだ。

これらによって、今回の体調不良においても、重大さというものに疑いを掛けざるえなかった。

ちょっと書くのが面倒になってきたので、以下はそのときの実況ポストを貼っておく。

 

俺は過敏な性格なので分かるんだよ。体調が悪いと言いながら夜中に酒を買いに行こうとしていたこと、そのうえで水すら飲めないと顔を歪めている不可解さ、質問に態とズレたことを答えつづけてること、そこを指摘すると怒り出してこちらを動揺させようとすること、演技してること、それらによって彼は自分でも素なのか詐称なのか分からなくなっていること。また、今回こういう詐病をしてしまった理由も何となくわかってる。複数あるのだろうが、まあもしかしたら外れてるかもしれないが、一言でいえば、ある種の試し行為なんだろうなと。自分がのけ者にされているかどうか確かめるための。

まあ今回の件において、結論というか、ひとつ方針のようなものが固まってきていて。それは、本人も嘘か素なのか分からないほどに嘘や演技に溢れた人間とのコミュニケーションによって、物事を判断するのは不可能なので、父親の場合、会話のなかから落としどころを見つけるのではなく、先に基準を決めておいてそれ従って脳死で動く必要があるなと。例えば、何時までこの状態が続いたら救急車を呼ぶ、など。そうしないと手遅れになるリスクもあるし、こちらも振り回されて疲弊して膨大なコストがかかってしまうので。もうかかりまくってるがな。

 

あと、先ほどもこの件と関連するポストをしたので、それも貼っておく。