父親への強迫観念

父親に関する強迫観念というか妄想というか、これがけっこう生活するうえで枷になっている。

何かしらの選択をした際に、彼がそばにいるとその選択が汚染されたような気がしてしまう。だからそこで選択を変えることになる。しかしその選択もまた汚染される。つまり正しい選択は絶対にできないと思い込む。そこでフリーズして何もできず、何も考えられなくなる。ちなみにキャッチ―に汚染と書いたが不吉と書いたほうが正確かもしれない。

あるいは、行動を開始したとき、その最中に彼がそばにきた場合、その行動をそのまま続けるとよからぬ結果が起こるという不吉な観念が湧いてくる。そこでもまたフリーズすることになる。

例えば、ある日雇い求人に応募しようか迷っているとき、父親が隣の部屋に来た場合、いま選択したものは必ず悪い結果をもたらすと思い込んでしまい、決断を後回しにすることになる。

あるいは、日雇いの求人サイトを開く、ログインをする、求人を探す、選ぶ、応募をする、という行動の流れの中で、例えば「ログインをする」という段階で、父親が隣の部屋にきたとする。そうすると俺は中断してログアウトすることになる。このログインは父親に汚染されたという観念がでてくるからだ。このまま進めるとよからぬことが起こると思い込む。

もっと簡単なこと、いや簡単ではないな、よくありがちなこと、それはブログを書くこと。これも父親によって汚染されたような気がして書けなくなる。例えば、全体の構成が頭のなかにあり、ばばーっと書きはじめ、ちょうど6割ぐらい書けたところで、父親が近くにきた場合、そのブログはお蔵入りとなる。そのまま書き続けアップロードすることによって何かしらよからぬことが起こる気がするから。

あるいは、そもそも書けなくなる、ブログを書くという作業は、何を書くか?どういう書き方をするか?あらゆる言葉の選択を伴う。父親がいれば選択自体が難しくなるので、ブログを書く手は止まる。フリーズする。ムリヤリ書いたとしてもそれは汚染された不吉なものなのでアップロードできない。じっさい思考が半フリーズした状態で書くので、碌な内容になっていなかったりする。ちなみに、これは強迫観念によって思考力が低下しているからなのだが、しかしまあ内心どこかで本当に汚染されているからと解釈してしまっているから厄介だ。

求人への応募、ブログを書く、を例に挙げたが、あらゆることで、この現象は起こる。そして、その選択が自分にとって重要なものであればあるほど、その影響、すなわち父親の存在によってフリーズしてしまう傾向は強くなる。

これを解決する方法は、脳内の神経伝達物質を適切な量に調節する、もしくは曝露反応妨害をする。

前者は投薬や運動、生活習慣の見直しによってある程度は可能なのだろう。後者はある種の根性論に近いものを感じるが、理屈でもって説明するならば、例えば、父親が近くにいる状態では判断能力が90%低下するとする、しかしそうだとしても、その判断が必ずしも間違っていて悲惨な結果になる、とは限らない。妄想上では必ずよからぬことが起こると思い込んでいたとしても、現実としては良い結果、なんなら大変満足できる結果となる可能性だってあるわけだ。つまり暴露し続けることによって、いくつかそういった良い結果を味わうことができる。そこで身をもって、ああ、あれはただの俺の妄想だったのだなと認識することができる。そうして、父親がそばにいるときのおかしな観念は徐々に消失していき、正常な感覚へと書き換えられるかもしれない。

しかしまあその曝露するってのが難しい。それなりの勇気が必要だ。