無能の気遣い

無能ほど気遣いできる、みたいなところあるよな。いや、必ずしもそうではないのだろうけど、一つの傾向として、そういうところもあると思うな。

ここ数年だろうか、「優しいとか、真面目とか、そういう誉め言葉は、それ以外に取り柄のない人に向けられた言葉」といった無慈悲な言説を見かけるようになったのは。しかしまあ、心当たりある人がいるから、的を射ていると感じる人がいるから、この言説はひそかに支持を集めていたりするわけだ。

ちなみにこれは、無能で他に褒めるところがないからそのように言うしかない、といった評価する側の視点による言説だが、無能だからそれをカバーする為そのようにするしかなかったという、評価された側も、実際そのように生きてきた結果だったりもするわけだ。

ところで、自己肯定感の低い人ほど、優しかったり、真面目だったり、やたらと人に気を遣ったりする、というのはあると思う。これは、自分自身が自分の価値を低く見積もりがちで、それをカバーするためそのようになるケースもあるだろうし、親からそのように育てられたというケースもあるだろうし、まあ、両方ということもあるだろう。

そして無能と自己肯定感が低いというのは似ている。もちろん、自己肯定感が低いけど有能な人もいるだろうが、無能だし自己肯定感が低いという人は多いと思う。無能が原因で自己肯定感の欠如に陥っているケース、あるいは自己肯定感の欠如が原因で、様々なことに挑戦できず、引っ込み思案で、力を発揮できず無能に陥っているというケースが考えられる。卵が先か鶏が先か…まあいずれにせよ無能であることには変わりない。

以上から、無能ほど気遣いができたりする、という現象はあると思う。

なんでこんなこと書いたかというとXにて以下のようなポストを見かけたので。


引用:https://x.com/ndpi/status/1792849425905418384

まあ、このポストに対してはけっこう反論もきていて、むしろ後ろで背負うほうが無能、前で背負う人は有能、といった意見もあったようだ。

しかしやはり、気遣いしてる人が無能呼ばわりされる例はけっこうある気がする。

そして実際、先ほど書いたように、気遣いはできるけど無能という人間はいる。

一方で有能な人も気遣いはよくできていたりするが。

ちなにみ、気遣いはできるけど無能という人間は、気遣いしなくてもいい部分までなんでもかんでも過剰に気遣いしてしまっていたり、あるいは逆に気遣いすべきところを見落としていたりする。そして気遣い以外の能力はさらにべらぼうに低かったりする。

しかし、だからといってそういうのをバカにするのは、あれだ、無能なくせに気遣いすらしなくなる奴が出てくる。若いとき、無能だけど周囲への気遣いだけは何とか頑張ってて、でも全くむくわれる感じがしなくて、それどころかバカにされて、中年になったあたりで周囲への気遣いすらしなくなって、無能なうえ気遣いもできないモンスターが爆誕するという。しかしまあ、それでも無敵の人になるよりはマシだったりもするのだがな。無敵の人になるぐらいなら好きに生きた方がいいという。まあ、難しいところだな。

なんかとりとめもない文になってしまったな。アイドルのSHOWROOMがもうすぐ始まるので、それまでに書き切らないといけないので、まとまらないまま終わらせてもらう。