涙は麻薬か自己弁護

ここ3日ぐらいびっくりするぐらい寒いな。こんな寒い日だけどダウンジャケットを出して散歩に出かけてみた。深夜1時半ごろ。

ウォークマンで音楽を聴きながら歩いていた。12年ほど前に買ったウォークマン。昨日アイアンメイデンの記事を書いたからか、気がつくとAces Highに聴き入っていた。すると何故か涙が溢れてきた。何でだろう。この曲は孤独の中にいる人間へのエールだと勝手に思っている。なんせ邦題が撃墜王の孤独だからな。まあ俺は単純だからな。自分の状態と重ね合わせたのかもしれない。

しかしふと思った。これはあんまよくないなと。泣いている自分に酔いしれているような感じがする。いや、というか、そもそも人が泣く理由は何だろう。思うに2つあって、麻薬か自己弁護ではなかろうか。

麻薬については、なにかで聞いたことがあるのだが、涙を流すとストレスが軽減されるらしい。例えば壮絶な拷問を受ける捕虜はたとえ反抗的で気概な振る舞いをしようとしても苦痛から泣いてしまうらしい。意思と関係なく苦痛を軽減するために涙が流れるのだろう。自己弁護については、涙を使って人を動かそうとしていたりする。意識的、無意識的にかかわらず、人はそれによって涙を流すことができる。プロの役者などでなくとも人はそれで涙を流せるのだ。例えば子供なんかは分かりやすい。我儘が通らなくて駄々をこねるとき涙を流す。それによって自己を正当化し相手を動かそうとする。転んで軽いケガをしたときなんかは両方かもしれない。自ら立ち上がるのが嫌だから甘えて大人や周囲に助けを求めるのと、たんに痛くてつらくてそれを抑えるための麻薬として。つまり、涙の意味は麻薬と自己弁護でグラデーションになっていることもあり、どちらか一方だけとは限らない。

寒空の深夜にひとり散歩をしながらAces Highを聴いて泣いている場合はどちらだろう。自己弁護だろな。俺はこの曲を聴くことで自己弁護をしてしまっている。自己啓発書を読んで満足して、現実を変える行動はしない怠け者の思考経路、またこれと同じ道をたどろうとしている。つらい状況だけど、この曲にエールを受け、感化され、私は気を戒めました、と神様へなのか自分自身へなのかは分からないが、必死に自己弁護している。こういう場合は自分は何も変わってない。現状を打破する自発的な行動は絶対に起こさない。私は頑張りますと言ってまた同じことを繰り返す冴えない劣等生のままである。俺は音楽を聴いて涙を流している自分に酔いしれようとしていたが、こいつぁあ気持ちわりー涙だなと思い直して、必死に涙を止めようとした。すると曲が終わったのと同時ぐらいに涙は止まった。止めようとしたから止めることができたのか曲が終わったから涙が止まったのかはよくわからなかった。

家に帰ると2時半を過ぎていた。10月に退院してからだと最長の距離を歩いたかもしれない。