無能で怠惰な健常者は無能で怠惰だから無能で怠惰な健常者なままという仮説

あまりにも無能なもんで、あまりにもやる気が出ないもんで、自分には何らかの障害や病気があるんじゃなかろうかと思って精神科を受診したところ、医者から「お前は無能で怠惰な健常者だ」と太鼓判を押された、なんてことになるのが恐ろしくて精神科を受診できない、という人は結構いるのではなかろうか。

俺もそのうちの一人だ。

しかし、精神科で障害や病気の診断が付くには努力が必要だということを最近知った。

まず診断を容易に付けてくれる医者と、渋る医者がいて、前者に当たるまでドクターショッピングすることを医者ガチャというらしい。そして問診の際にどのように言えばお望みの診断が付きやすいかだとか、どのようにおねだりすればお望みの薬(コンサータなど)が貰えるかだとか、戦略的にアピールすることがあるらしい。

さらに自立支援であったり、障害年金であったり、生活保護であったり、金銭的な支援を得るには知力、体力、情報力、行動力を駆使したさらなる努力が必要らしい。

つまり、こういった努力ができるような有能な人間ほどお望みの診断もお望みの薬もお望みの支援もゲットしやすいということ。

逆に言えば、全国にいる所謂ニートだとか引きこもりだとかワーキングプアだとかも、実はこういった努力さえできれば、病名や障害名や薬や金銭的な支援をゲットできるということかもしれない。

しかしふと思ったのだが、こういった努力よりも、底辺職なりでも働いて自分一人分だけの生活費だけでも稼ぐための努力の方が簡単なんじゃなかろうか。

戦略的に医者ガチャやアピールをして精神障害者になって支援を得るという努力よりも、底辺労働に就いてカツカツで食っていくという努力の方が簡単だから、多くの無能で怠惰な健常者は無能で怠惰な健常者なままなだけではなかろうかと。