無意味なことで時間を浪費しているのに自分を正当化して止めれないのは父親に似たんだろな

父親の話にばかりなるのだが、まあ俺自身ずっと家に居て父親もずっと家に居るので必然的にそうならざるをえない。

父親はさっきから2時間ぐらい先週伐採した植木の枝葉を細かく切り刻む作業をしている。今これを書いている部屋のすぐ横でずっとチョキチョキチョキチョキとやっているので煩くてかなわん。まあ俺が父親自体にアレルギーをもってるので余計に煩く感じてるだけなのかもしれんが。

この枝葉を細かく切り刻むという作業、よりコンパクトにしてゴミ袋に収めるやすくするという目的でやっているのだろうが、父親の場合長時間に及んで異常に細かく切り刻み続けており、客観的に見るとそこまでするのは無意味である。普通にすれば10分ほどで終わる作業だろう。しかし父親は意味があることだと思ってやっているのだろう。

それについて俺は「バカだなあ」とか思っていたのだが、すぐさま「あー俺も同じようなことよくしてるな」と思い直した。

てか、たった今もしている。このところずっとやっているYahoo!メールの整理だ。過去の各種登録や注文などのメールは一つ一つ確認して、だいぶ古くなったメールも丁寧にフォルダ分けして、客観的に見るとそこまでするのは無意味だということをしている。普通の人なら1日か2日でサクッと終わらせるのだろうけど、俺はもう何ヵ月もダラダラとやっている。

自分なりに分析してみるに、父親や俺のこういった行動の裏には、

  1. 何かしら前進している感が欲しい(何かしら価値のあることをしていたい)
  2. 頭を使うことよりも楽なことがやりたいという無意識の逃げ
  3. やらなくていいことに拘ってやってしまう

という気質が隠れているように思う。

俺のしていることに当てはめると、

  1. Yahoo!メールは今後アルバイトなどをするときに使う可能性があり整理しておくことは価値があることだし、この作業をしているということは自分は前進している、という思い込み。
  2. メールをダラダラと確認していく作業は大して頭を使わない。時間はかかるが脳に負荷は殆どかからない。楽だからやっているにすぎない、ということに気付いていない。もっともっと勇気も忍耐も要する他のもっともっとやるべきことから逃げるためにやっている、ということに気付いていない。
  3. 過去の各種登録や注文などのメールを一つ一つ確認、だいぶ古くなったメールも丁寧にフォルダ分け、これら作業はやらなくていいことだが拘ってやってしまう。

客観的に見ると無意味なことをしてしまっている。厄介なのは、これは必要なことだとか、価値のあることだとか、正当化してしまうところ。ただ、薄々無意味っぽいとも思っている。俺の場合これを書いているわけなので。

しかし止めれない。拘ってしまう。そして時間を浪費する。

ああ、そうだ。趣味だと思うのはどうだろう。このYahoo!メールの整理は趣味でやっていると。必要なことでもなければ価値のあることでもないが趣味だからやる。

しかし趣味なら、やるべきことをやってその余暇にやるべきだよな。働きもせず強迫的にやることではないよな。しかも楽しくもないわけで。

やりたくないけど価値のあることだから自分の為に頑張ってやっている、なんて思っちまってる。これが問題なんだよな。

いやー複雑な感情だなあ。

こうやって「意味が無いことを意味があると思い込んでる」とまで自分で書いてるので、意味が無いことだとは自覚しているようなんだけど、それでもやめれないってことは、やはり実際には意味があることだと思い込んでるってことなのだろうか。

どうしょうもねえな。

まあ、やるのをやめるか、やるべきことを割り込ませてその余暇にやる、さっさとやって終わらせる、のどれかだろな。今みたいにダラダラとやってるのが一番良くない。

ところで、父親に対してアレルギーがあると序盤に書いたが、自分の気質の半分は父親から引き継がれているわけで、父親を観察することで自分の気質が見えてくることがあるんだよな。

そのような見方をすれば父親への嫌悪感も薄れてくるかもな。例えば、ゴキブリをゴキブリとして見ると気持ち悪くて気分が悪くなるが、研究材料として見ると意外と面白かったりするように。

ちなみに、生来の気質は共通していても、そこから発現する二次的な作用は違ってくる可能性があるのでそこは分けて考える必要があるな。

例えば、拘りが強いという気質は生来のものだが、それを人に押し付けて嫌われ者になるというのは二次的な作用である。前者が遺伝として引き継がれていたとしても、後者は引き継がれない場合もあるし引き継がれてしまったとしても前者とは違い対処の方向を変えるなどして改善することができる。