ニートの初詣

もうとっくにニートと呼べる年齢じゃないんだけどな。

今散歩してきて近場の神社が開いてたので入ってみた。

ちなみに散歩してるときは「なぜ人を殺してはいけないのか?」ってテーマについてずっと考えていて、ある程度考えがまとまったのでそれをブログに書けばいいんだけど。なんというか、最近このブログ、人に講釈を垂れるような形になっているような気がして気持ちわりーなと思ってな。社会問題だとか人生論だとか人間の心理だとかブログ論だとか偉そうに書いてるんじゃなかろうかと。

俺みたいな人よりも下の下の人間にそういう発言権はないだろと。んなこと書いてもどうせ絵に描いた餅なんだから。

人のブログとか読んでるとさ、今日はこういうことがあったとか、そういう記事が多いんだよな。自分の経験を書いてるの。俺もそう言うのが書きたいわ。引きこもってると書けねーんだよな。

あー、脱線しまくったな。序盤から脱線。発進して即脱線事故

ニートの初詣についてだな。

俺は結構信心深いところがあって。今年も初詣に行ってきた。2か所。そのうち一つが今散歩してた途中に入った神社ってこと。

それぞれどんな感じだったのか書いていく。

まあどちらも一人でサッと行ってきただけなんだけどな。序盤の脱線事故でも書いたけど、もっと仕事や人間関係でこんな経験をした!みたいなこと書きたいんだけどさ。引きこもってると書けねーんだよ。だから一人で初詣に行ったことを大袈裟に書いていく。

まず一ヶ所目。1月2日の深夜4時前に行ってきた。まず家の中の神様とご先祖様に入念に般若心経を唱えてから家を出た。

家から歩いて5分ぐらいの所にある神社で、田舎(といってもコンビニとスーパーぐらいはあるが)なので2日のこの時間だと人はいない。そこを狙って行ったみたいなところがある。

ちなにみこの神社、毎年正月三が日は一晩中火を焚いていたのだが、コロナの影響で去年からやらなくなったようだ。一昨年までは2日と3日の深夜3時後半以降に行けば人気(ひとけ)は無いのに消えかけの火だけが燃えていている光景があってエモかった。

もしかしたら今年は火を焚いてるかもと淡い期待を寄せて行ったのだが焚いてなかった。もう大分コロナも落ち着いてるはずなのにな。火を焚かないことによる経費の削減が半端ないことに気付いたのかな?とか勘ぐったりしながら、明かりはついてるが人っ子一人いない境内を歩いていき、お祈りして帰った。

で二ヵ所目。今日いまさっき散歩がてら行ってきた神社だ。たぶん閉まってるだろうな、適切な小銭もないし、とか思いながら散歩に出かけたんだけど、開いていて驚いた。

境内を歩いていくと掃き掃除をしている人がいた。あーもう朝方だから開門の準備をしているのか、もう5時半だしな。でも人はいないと踏んでたので「やだなーこわいなー」とか思いながら本堂に向かって進んで行った。

掃き掃除の人はちょうど本堂までの道筋を掃除してたので避けるのは不可能なのだ。やだなーやだなーこわいなー、とか思いながら進んで行った。

しかし、そこでふと思った。挨拶した方がいいのかな?と。

いや、した方がいいよなと思った。「あけましておめでとうございます」かな?いや、なんか言い辛いな。どっちかというと「おはようございます」かな。今日はもう4日だしな、とか思いながら。

で、すれ違いざまに「ぉょぅコ”र”ぃŧ व 」と言った。すると『おやよぅござまぃす』と返ってきた。文字であらわすのは難しいが意外と相手もぎこちなかった。

本堂に着くと二人ほど何かしている人がいた。この二人もどうやら開門の準備をしている人っぽい。しかしここでは挨拶はできなかった。掃除の人に挨拶ができて満足して気が緩んでいたというのと、掃除の人のぎこちないおやよぅござまぃすからして挨拶しなくてもいい雰囲気なのかなと思ったりしたというのと、もう賽銭箱の前まで来てたので目の前の神様にお参りしないとという意識が強かったので、人間への挨拶を逃した。

でもまあ掃除の人には挨拶できたから良かったとしよう。

帰りにもその掃除の人の側を通ったのだが、俺は目を合わさずスタスタ歩いていった。しかし何となく、その人が何かしら言った気がしたので、軽く会釈をするかしないかぐらいの会釈をしてスタスタと歩いて神社から出た。

でもまあ挨拶できて良かったわ。

あれだ、親に最後に挨拶したのいつだっけな、と思ったな。ふと。子供の頃とか「おはよう」って言ってた記憶があるんだよな。今はぜんぜんしてない。てかできない。母には照れるし。父とは冷戦状態。親にも挨拶できないような奴が、見知らぬ掃除の人に挨拶をするのは順序として間違っているのでは、とか思ったりするな。しかしあれだ、その順序に拘ってるとこのまま一生誰にも挨拶できないまま終わると思うので、出来るところからでいいよな。

ニートになって、引きこもりになって、人と会うのが怖くなって、それでも初詣は毎年行ってるな。一人でだが。近所の神社なので絶対に知り合い似合わない日時を選んでだが。

俺は引きこもりなんだから初詣も行く必要ないんじゃないのか?とかも思ったりもしたのだが、持ち前の信心深さも手伝ってか、毎年この二か所の神社には行ってるな。

行かないよりはいいと思う。ニートが初詣に行くことで人生が上手くいくということはないとは思うけど、引きこもり状態にまでなってるのなら外出する口実になるし、今回みたいに久しぶりに人に挨拶ができるかもしれんし。

ちなみにコロナ前は、プラスα電車に乗って十日戎にも行ってた。これも一人で行って、一人で笹を貰って帰ってくるだけなのだが。しかし久しぶりに電車に乗って都会に出ることになるので、脳に何かしらの刺激はあるな。たぶん良い意味で。疲れるけど。

まあ、今はコロナがあるからという免罪符のもと行かなくなってしまったが。